メディアカフェポパイ四条河原町店

十一月二十九日、
京都。Bouz cafeにてビートのイベント。GRLKYOTOに来てくださった、Riot Grrrrlというムーヴメント、というジンの著者のOさんからご紹介を受けていて、その他にも洛北のTさんや、GRLKYOTOでお会いしたKさんからもご紹介を受けていたのだった。ケルアックの最初のパートナー、イーディーに関するメモワールが出版されるとのことで、その著者の人も来ていた。狭い会場にかなりの人があり、詩もあり、リトルプレスもあり、お酒もあり、いろいろとあった。タバコはあまりなかった。詩のイベントははじめて。オカバーの竹村さんによる糞に関する詩がよい。糞は米が異なると書いて糞、うんぬん。よさつながりでいうと、ケルアックに関して好きなエピソードがひとつあって、それは彼はタイプライターの用紙換えが面倒でなにかのロールペーパーを使っていたらしい、ということだ。

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なお開始までやや時間があったので、近くの古本屋はんのきへ。三人の店主が交代で店番をするという古本屋。石田さんという店主さんとすこしお話。石田さんはヘンな紙モノが好きだそうで、家計簿、答案用紙、慰問文集などをゴソゴソと出してくれる。家計簿がとりわけいい。窃視症的ななにかがある。もしかしたら窃視症しかないかもしれない。でもどこから手に入れるのだろうか。他の店主は普通に文学とかがお好きだそうです。マンディアルグの本を買う。ピエール・ド・マンディアルグの本を。

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hanareにてGRLKYOTOおつかれさま会。翌4時まで。

高島屋の屋上から下を見た図。むきだしなかんじ。

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十一月三十日、
リサーチメンバーとして高山明氏による「個室都市京都」にちょっとだけ協力することになった。来年の十一月から行われる演劇計画2009のためのプログラム。高山さんは演出家。ただリサーチと言っても何をするのかは知らない。今日はガイダンス。京都芸術センターにて関係者顔見せ。アイホールのOさんとも会う。まずは個室都市東京というプロジェクトの話。池袋西口公園に個室ビデオ店を作り、近隣でインタビューをしたDVDを観者にその中で見てもらう、というシステム。オプションツアーの最終地点は出会い系カフェを模したもので、今までインタビューを見ていた観者が、まさにそのインタビューの当事者にさせられるというシステム。その説明。

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十二月一日、
リサーチ実施一日目、明倫自治会の会長さんの話を聞き、三条通から河原町通り、木屋町を抜けて五条楽園のほうへ行く。京都で人が集まる場所はどこかということでガイドをするものの、結局人が「多く集まる」場所などないということに落ち着く。個室都市東京はゼロにして、京都ではまったく異なったアプローチをとります、とのこと。五条楽園の雰囲気に中毒る。元映画館のネットカフェがありますよ、と伝えると、行ってみたいとのこと。それは明日。


高島屋屋上のゲーセン。不当にも、という単語が頭に浮かぶ。だれもいない。

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十二月二日、
「個室都市」とあるのは何も物理的に個室ビデオを再現したからつけられたものではない。大阪個室ビデオ火災のニュースがひとつの契機になっているとのことだが、どうだろうか。個室都市東京では自他との間での境界線のひき方、ひかれ方が問われ、そのありようが個室都市という名前を呼び込んだとも言えるかもしれない。リサーチ実施二日目。御所、ふや町映画タウン、市役所、新京極公園、フジヤマカフェリラクシング、祇園。ふや町映画タウンが閉まっていた。

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十二月三日目、
高山さんはフジヤマカフェを強く気に入った様子。リサーチ実施三日目。フランソワでコーヒーを飲み、高島屋催事場、屋上、その後立誠小学校にて関係者からリスニング。ここが日本ではじめて映画を上映した場所であること、それから周囲のこと。最後はイマージアム。

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十二月四日目、
リサーチ実施四日目、ミーティング。

四条通りに看板はあるが、入り口はそこにはない。ぐるっと回り込み、風俗の呼び込みをかわし、やっと見つけることができるのだ。

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ネットカフェ。メディアカフェポパイ河原町四条店。オープン席だと10時間で1200円ちょっとというお得さにつられて一時期よく行っていた。今回はでも個室。ビジネス席。幅1050×奥行き1500。フラットシートだと奥行きが1800になり、マッサージ席だと2200になる。大体300〜400ぐらいが基本単位か。なおペアシートは幅1300×奥行き2200。ここには日焼けマシンがあるが、それを測りに行く労が重い。
ここの特徴を一言で言うと、上がスカッと抜けているということだ。比較的広大なビルのワンフロアが丸々メディアカフェポパイとして使用されているのだが、その大部分が無柱空間となっており、まさにその部分に個室が展開しているので、個室群の上部のなにもなさが際立つ。実際にはダクト等々があるのでなにもないわけではないのだが、要するに柱が無いから目線が貫ける、というところにただならぬものを感じてしまったということなのだ。みなが同じような空間にいるのだ、と思いながら、隣がズルズルラーメンをすすり、うるさい。バクマンを読む。

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十二月五日、
リサーチはお休み。READTANK。

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建築家が自らの役割を再定義しないかぎり、彼らはきわめて有能に割り当てを遂行する者から、企業家やプロデューサーへと変容してしまうだろう。ウィリアム=ジャン・ノイトリングが最近示唆したように、平凡なジャーナリスト、あるいは平凡な研究者として自らをしめすためではなく、むしろアクティヴにわれわれの時代が提示した問題や挑戦に取り組むために、それを再定義すべきだ。

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モダニズムのプログラムは工業化に奉じ、芸術性を放棄した。金を払うクライアントの後ろに社会というもうひとつのクライアントを抱える建築家は、その「ダブルクライアント」によって引き裂かれ、建設プロセス、受託者、消費者、ディヴェロッパーにおけるもろもろの変化とともに、その社会的立場はより不安定なものになっている。依然「建設へと従事する姿勢」を貫くのか、あるいはまた別の道を探すのか?現在建築家が取りうべきあり方をスパッと提示する論考。GRLKYOTOでインタビューしたエミリアーノは「建築家はメディエーターになるべきだ」と言っていたので、それを思い出す。