ITCAT

十二月二十八日、
求められない、あるいは―建築の新たな解剖学
―オレ・ボウマン
『ボリューム』誌前号の編集長が、その創刊から書き続けてきた「求められない建築」を最も具体的な形にして提示してくれた。建築を超えていく、という考えがいかに行動に移されるのかを例示しながら、ボウマンは「Office for Unsolicited Architecture」を設立することによって批評的実践の新たな断面を示してくれるだろう。

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QueryCruise用のインタビュー文字起こし。約30分のインタビューで大体5000〜6000字。

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そして夜はアルザスで忘年会。アルザス左京区にあるアルザス料理を出してくれるお店。マスターが一人で切り盛りしていて美味しいというところをまず強調しておきたいが、そのようなありそうなぐるなび的基準を超えてすばらしいと思うのは、マスターは夏はバカンスを取ってフランスまで行っているということだ。惜しむらくは、自らの記憶力が料理の名前を覚えていないこと。食後に出された甘いリキュールはグラン・マニエ。

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十二月二十九日、
人々があれこれの死について語っていたときのことを思い出してみよう。私たちはたくさんの葬式をあげた。ミシェル・フーコーは人間の死を言い張ったし、ロラン・バルトは作者の死を断言した。物語、真正性、進歩、啓蒙、そうやって名指したものについて、哲学者たちは慰霊祭で話しあった。そして人々はまだ生きていたにもかかわらず、本はいまだ書かれて、進歩もまだまだなされていたにもかかわらず、それらはすべて生ける屍の文化だったというわけだ。過去もなければ未来もない。なぜなら歴史もまた死を宣言されたからだ。

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下鴨神社の近くにある喫茶店でワッフルとコーヒーをいただく。その後QC用インタビューを校正し、各先生の写真を加工、トップバッターである大庭哲治さんの記事をウェブアップできるように準備しておく。文章を大庭さんに投げる。1月7日前後に挙げたい。

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十二月三十日、
建築がこの文化的大量虐殺という悲劇によってどのような影響を受けたのか想像できるだろうか。建物も建て続けられていたにもかかわらず、文化的努力としての建築は無意味さの窮地をさまよっていた。真の価値を具体化するいかなる表象の力も欠いていたのだ。この真のプラグマティズムを超えた古きよき分野を想起させるものは、まっさきに建築を語らんと欲する建築「Architecturearchitecture」である。それは次第に深い軽蔑に会うようになり、結局は致命的な判決にいたる。「不条理建築」。ようするに恣意的で信頼できないデザイナーの嘘っぽさのことだ。そこには唯一のヒントがある。彼らのエゴがそれだ。

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ここまでさっくりと訳してきたボウマンの論旨は、ポストモダンについてのものだが、彼はその語を使っていない。 Architecturearchitectureとは要するに建築のための建築であり、社会的に外在するいかなる根拠も失った建築家が過去の様式のパスティッシュやリミックスへと走っていったときの現象を指しているように見える。彼らのエゴというのは、つまりその様式の選択にも、解釈の方法にも、いかなる必然性がみえない、ということなのだ。

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十二月三十一日、
悲劇的な話だ。それから有名なマルクスの文句がこうくる。もしそれが再び起これば、それは茶番と呼ばれる、と。アーキ-テクチャーがその芸術的自律性や自尊心をある程度保とうとするための奮闘は、結局その崇高な終焉を避けようとするにはあまりにも大きすぎる敵と出会うことになるのだが、いまや新たな状況に奉ずるための新たなマントラになり、「リアリスティック」になっている。不動産マーケットにおけるエージェントによってデザインされていようが、スターアーキテクトという少数のエリートによってデザインされていようが、建築はユートピアへの衝動をあきらめ、平均的な多くの建設過程のなかでつつましいプレイヤーとなってしまったわけだ。本当には英雄的闘争の中で死んではいない造物主、天才、あるいは救世主としての建築家。いや、彼らはただ時代遅れになっただけだ。たとえ死が取り除かれたとしても。

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年越しそばは河道屋のにしんそば。土間から上がった畳敷きの席でいただく。この土間は奥に続き、中庭を挟んだ別の棟へといたる。別棟二階の障子から明かりが漏れ、それが中の庭の植物にほのかにかかる。暗がりでは庭がよく見えないが、庭がほのかに照らされていることだけは分かる。おそらくみんなそばを食べに来ているだけなので食事が早い。トイレに立ったのかなと思いきや、後ろからぞろぞろと人がついてくる。別棟から明かりが消える。庭は見えない。そもそも庭なんてないのかもしれない。年が暮れる。

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一月一日、
あけましておめでとうございます。今年もぽつぽつと更新していきます。よろしくおねがいします。

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よい知らせとしてはこんなところか。もし建築家がいまだ存命ならば、彼/彼女もまた独立して再び生き始めることができ、奴隷や道化師としてふるまうことをやめることができる。たとえば、建築が救済になるような、しかし誰もいまだ思いついたことがないようなすべての機会を探求することで、伝道者としてふるまったらどうだろうか。建築家が不死の存在になったとしたら、最初に与えられていた役割を再活性化させることだってできるはずだろう。私たちの空間を知的に構成するというその役割を。

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愛知。親族への挨拶をすませ、深夜ネットカフェ。ITCATへ。いわゆるロードサイド型のアミューズメント複合施設の一端を担っているネットカフェであって、この施設自体は十数年前から存在していたりする。もともとは巨大なおもちゃ屋であったが、次第にコンテンツが増加し、かつまったりと変動しており、ネットカフェをはじめ、ビリヤード、リサイクルショップ、カラオケ、中古ゲームショップ、漫画、ゲームセンター、子ども向けのおもちゃ屋(再び!ずいぶんと規模は小さくなったが)が時期をずらしながら参入したり撤退したりしている。各時期のニーズのようなものに即応し、なじめば定着するし、なじまなければ変わるというだけのこと。歴史だ。十数年前には近所に同系列のビリヤード、パチンコ、バッティングセンター、ゲームセンターを抱える複合ビルが完成。数年前にはその近所に激安の殿堂ドンキホーテが参入。深夜まで明るい。同地区ではないが、別所、ある通りを挟んでリサイクルショップが林立しており、その増加現象は考えておきたいところ。リサイクルショップほどコンテンツとして「不均質」なものはない。その地ならではの品揃えはここにこそある。たとえ入る箱がどれほど「均質」だとしてもそうなのだ。
さてそんなITCATの特徴は、カフェスペースが異様に大きく、ネットカフェのなかにもうひとつ喫茶店があると言うことができるほどに広い。ネットカフェが入る箱は倉庫のような作りになっており、半分は二階がつくられ、その二階ではビリヤードができる。二階がない他の半分は吹き抜けになっており、ちょうどカフェスペースがその「半分」にあたるため、天井までの高さが無駄に高い。ところがその吹き抜け空間はぴったりとカフェスペースに対応しているわけではなく、個室もそこにつくられている。スケールは幅1150×奥行き1550×高さが約1600、間仕切りの上端から天井までが四、五メートル以上もあるという状況を目の当たりにしたことがなかったが、これはもうほとんど外に個室を建てたような印象すら得た。幅1150×奥行き約2000というスケールの個室、それから幅2000×奥行き1800というスケールのペアシートは二階がある部分に据えられており、天井高はぐっと下がる。この二種の空間体験の中で揺れ惑うことがここITCATの一番の特徴であった。特上カバチ最新号を読む。

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一月二日、
もし最近の数十年における職業的な選択が、受動的なファシリテーターになるか、あるいはしばしば変わったことをするための特別な許可を持っている宮廷道化師になるか、というものに貶められているのなら、おそらく機は他の問や期待へとむかわなくなっている。あなた自身にむかうのみだ。クライアント、敷地、あるいは可能な予算に求められるものとしてのデザインではなく、求められない建築をデザインし、そのためにクライアント、敷地、そして予算を見つけるべき時にきているのだ。適切なキャリアや愉快な生活のために覚えておくこと。他者がつくったモチーフに頼らない。自分をモチベートせよ。

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ここまでが前口上。次からはメモというか、FAQが続く。それはまた次回。