プランニング・パラダイス

一月九日、
楽園を計画する
エージェン・オースターマン
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「重要な建築的介入を始めるために必要な条件は、その実践に関わる一団(政府、地方自治体、個人投資家ディベロッパー、建設会社、プランナー、デザイナー、そして建築家)との協議によってプロジェクトを規定することである。」「建築的介入と変容」に関する最近の国際会議におけるこの前置きは、今日における諸過程を考える「包括的な」方法に典型的なものである。プランやポリシーはもはや少数の専門家によって規定されたり実施されたりするものではない。それらはすべてのステークホルダー(現在的にポピュラーなもうひとつの概念だ)とともに発展させられる。すべての団体?たいていは介入の主体と被害者となる使用者/消費者/在住者は、ここから著しく抜け落ちている。

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龍谷大学にて景観に関するシンポジウム。法学部の学生さんたちの主催、ということになっている。「国立から鞆の浦、そして「みらい」へ」という副題からも推測できる通り、ここでは「国立(くにたち)」と「鞆の浦」というどちらも景観問題の舞台となった、しかしながらある相違を持つ二つの地区の対立がひとつのテーマとなっている。その相違を一言で言うならば、その景観が生きてきた時間の厚みということになろう。万葉の時代から歌われてきた後者の景観と、それに比較すればきわめて「現在的」な前者という対立がまずひとつある。一方このシンポジウムでの人選に関して言うと、景観保存運動の推進者である実践者とそれを法の観点からサポートした理論家とがそれぞれペアのような形で壇上に上っていた。これが二つ目の対立。元来分けるべきでもなかろうが、このような明確な形で視覚化されていることの意義を実感できる。長年現場で多くの人々と会話を交わしてきただろう実践者の意見はパワフルで単純に面白く、運動において笑いのもつ重要性はおろそかにできないなと思うが、こうしたある種ボケとしてのオピニオンリーダーにツッコミを入れるような形で、要所要所にどのような法が適用されたのかが理論の側から提示される、という構図で見ていた。
基調講演も、議論もなかなかの味わい深さで個人的にはかなり満足だったのだが、望むらくは、法という観点から見た「景観」と、実際に生きられる「景観」という構造的に浮かび上がってきた二つの景観をどのように考えるのかに関する議論が起こるべきだったかもしれない。法学的観点から景観問題一般へと切り込んでいく際に、その視点こそが重要になってくるはずだろうからだ。

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一月十日、
戦後の、大規模な、トップダウンの計画組織が多様な政治システムのなかでだんだんと機能不全になりはじめたとき、「市場」がその解決を許された。繁栄のレベルから推測して、需要は供給を導くだろうということになったのだ。あらゆるひとが、必要とするものに満足し、政治は弱者、セキュリティ、そして(国際的な)競争を保護することだけに専念すべきだとされた。社会がつくられる必要もなかったし、もはやそんなことはできはしないのだ。事実、市民は自らが何を望むかを自分たちで決めた。これは建築家の役割と立場に関して重要な帰結を持つ。アルド・ヴァン・アイクはかつて、屋根を架けてあげることでひとの手助けをすることこそ建築家の役割だとしたことがある。(彼は付け加える「それがなかなか難しい」と。)それまで建築家がなすことはユーザーが望むかもしれないものを提案するだけということになっていたのだが、現在ヴァン・アイクの説明はますますありそうなことになりつつある。住宅建設において個人クライアントに割り当てられるものが次第に増していることは、最近まで少なくともオランダにおいては大きく欠かれていた、デザイナーとユーザーとの直接的な関係を生み出している。さらに、ヨーロッパやアメリカのそこここに市民の影響のラディカルなかたちが経験されている。その規模は、都市の発展のための予算が、近隣neighborhood、地区district、あるいは村人villagersそのものによって決定されるくらいの小さいものだ。(地方自治体の)政府が地域的に決定されたものを促進するようなことはあまりない。

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ジェーコブスを経済的観点から読み直してみよう、という数年前の論文コピーが出てきたので、それを三本ほど読む。山形訳のアメリカ大都市の死と生はいつでるのか。

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一月十一日、

都市アメニティの経済学を読む。レジデンスに来ているキュレーターの住友さんとちょっとお話をする。住友さんは学部時代建築を研究していたそうで、堀口捨己を対象としていたのだった。建築そのものを考えるというよりは、建築を通して社会を見る、という視点をとっていたとのこと。

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一月十二日、
これは次のようなことを意味している。つまり未来を提示できることを建築家は予期せずに求められる、ということを。商品論理の消費社会のなかで多く失われたように思われる能力だ。近隣はサービスパケットへの付加としてデイケアセンターかカフェかのどちらかを選択できるが、複合的な工場や廃れた住宅の再構築にとって、ちょっとした手助けはなくてはならないものである。

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工繊にて開かれた住友さんのレクチャーでは戦後の日本におけるアートとテクノロジーとの関係性が話された。椹木「戦争と万博」で示された万博と戦争とのアナロジーでの問題は、単一化された「未来」という概念であり、そこでは技術なるものが一枚岩的に見られてしまっている。むしろ産業と芸術との二区分によって技術を見ていくべきではないかという提言。戦後美術における各種の作品を概観しながら、そこにテクノロジーを考える際の、人間中心主義的な確固とした「主体」なるものに亀裂を入れるようなまなざしが存在しているのではないかという意見。住友さん自身は技術の発展によりそれ自体がブラックボックス化してしまいがちなテクノロジーに対し、人間と技術との距離感を浮き彫りにするような仕事に興味があるとのこと。個人的には、この二区分における産業的技術が、芸術的技術によって「名指され」たときにはじめて、ハッキングという現象がおこるのではないか、と思った。

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GRLK本のためのミーティング。

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一月十三日、
展覧会ではない展覧会「暴走実験室」のために増本さんがradlab.にくる。

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一月十四日、
ヒフカ。

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世界的な規模において、これらは完全に周縁的な問題である。世界の人口の多くは、彼ら自身の住居や日常環境をあたえ続けるだろう。その他はほとんどもっぱら住居を与えられるのだ。例年の中国の都市生産はこの種の微妙なアレンジを考慮に入れていない。しかしながら、周縁というのは無意味ということではない。何になり得、何になるべきかを決定する際の政府とその人口との間での新たなバランスを求めることは、強く求められている未来のモデルを生み出す。これは、オランダや西ヨーロッパといった楽園を計画する段においてのみそうだというわけではない。ポスト紛争地域で局地的な人口に再発展を許すことは、未来の紛争を避けることにつながっていく。そして現在権威が支配しているこれらの地域において、ますます増える政治的な自律と、自身の望むものと欲求とを知るという市民の個人的責任とともに増大する繁栄は、異なった関係性を創り出すことを強いるだろう。徹底した土木social engnieeringは不興を買うかもしれず(ある意味、ひとつの実践としてそれはいまだテーブルのうえにある)、市場はあらゆる問題を解決するわけではない。付加的な課題はそれを長引かせる。でもそれが他の主題となるのだ。