太地

一月十七日、
暴走実験室で喫茶hanare。着席すると唐突にアンケートが出され、それに答え、そうするといつの間にか採点がなされており、その採点にしたがって料理が決められるというシステム。「市民度」の上下によって肉の量と大根の高さが変わる。神による食堂とよびたい。

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茶店より。ホットケーキとコーヒーをたのむ。

一月十八日、
普通hanare。アナーキストの方の話。ナダフに明日和歌山行こうと言われる。とりあえず諸々調べる。

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「クジラ」とある。見にくいが、ある。
一月十九日、
ナダフと和歌山へ。太地というところを目指す。かの地ではクジラとイルカ漁がされているらしく、どこかにいけばそれが食べられるらしい。レンタカーを借りて、那智勝浦まで7時間ほど。途中ナダフはラブホテルの外観に興味を持ち、さっくりとそれが何かについて説明すると、以降あれはどうだ、としきり。ラブホテルか。ビジネスホテル?それはラブホテルとどう違うのか。名前の付け方がポイントなんだ、というと、いろいろと名前を考案してくる。ダイアモンド・ダスト。ツー・ワーズはいいね。サマー・レイン。良い良い。那智勝浦まで後一時間というところで、窓から海しか見えない喫茶店に入り、コーヒーとホットケーキを食べる。那智勝浦に入ると、はじめに尋ねた店でイルカもクジラもあっさりと食べることができるというので、それを食べる。漁はどこでやってるのかという問いに、店主しらない、とのこと。店員さんはというと「漁」という言葉を解さなかった様子。その後足湯につかり、太地の方へペンションに泊まりにいった。新しくできたマンションに引っ越した友人の部屋に来ているよう。ナダフが『人間の条件』を見せようとしてくるので、別に見たくないという。

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どっちがどっちの肉か忘れた。
一月二十日、
6時起床。那智勝浦の競りに行く。マグロの測量者のすぐ後ろからナダフがビデオをまわしている。工場のような競りの会場にマグロがずらっと並び、その片腹を朝日がさっと撫でていてきれい。ナダフもにこやかで満足した様子。その後近くの食堂でマグロ丼。食堂のおばさんはさんまを塩漬け乾燥後に焼いたものとマグロの漬け焼きを出してくれた。競りの魚はここから日本各地へと渡って行く。いいもんはほぼ築地。京都?京都はまあまあ。やっぱ東京。東京が一番。このへん?無理無理、あんま良い魚食べられないよ。その後クジラ博物館へ。イルカ、クジラにまつわる歴史、部位、分類などについての展示。外ではイルカ、クジラショー。洗脳だな。違うか?なにがしかの液体に浸された、もともとはクジラやイルカに属していたどこかの部位が古びて色が濃くなっている。3階の約半分は改装中にて入れず。昨日クジラを食べてきたんだ、と売店にてナダフ。落合博満記念館を横目で見ながら帰路につく。

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帰り、以前イスラエルミュージアムで行われた大規模なイスラエルの建築展にナダフが少なくない数の映像を提供したという話に。ウェストバンクに広がる建築を撮りためたそうだ。特徴はと聞くと、形態上の特徴はさほどないが、どれも屋根が赤い、とのこと。赤には何か象徴的な意味でもあるの?多分ない。よくわからない。Eyal Weizmanというイスラエルの建築理論家を紹介してもらう。彼はかなりいろいろやってるから絶対興味持つと思う、と。

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その後ナダフと別れ、暴走実験室内「Small talk, Big talk with RAD」。QC2でのテーマ、景観と町家の問題を織り込みながら、過度に挑戦的なトピックをいくつか用意し、それをもとに議論する。「京都はテーマパークだ」「景観保存なんて無理だ」「建築家はいらない」等断言型のテーマ多し。話途中でもしゃかしゃかテーマが変わって行くのがこのシステム「Small talk, Big talk」の特徴。途中となりの建物にすむおじさんがふらりと立ち寄ってくれたので、おじさんとも議論する。都市は変わって行く、というのが彼の持論。大賛成だが面白くないので反対してみる。テーマが出た瞬間に、どういうスタンスがとりうるか、誰がどのスタンスに立ちそうか、どういう話の構成になるのか、などなどを考える。もちろん想定どおりにはいかないが、有意義に約二時間。

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一月二十一日、
感性価値研究所というところに今所属するYさんとGさんとお話。一応形式的にはインタビュー。今後のものづくりについて、つくらないRADが答えるという不思議な構図になった。が、そのつくらなさのスタンスについてあまりうまくしゃべれなかったのが残念。

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その後暴走実験室の一環で、「Urban Unsemble」というパフォーマンスをしに街へ行く。路上にあるものを使ってみんなで音楽を演奏する、というだけのシンプルなものなのだが、やってるうちにだんだんと楽しくなり、出している音も大きくなり、オーディエンスはガヤガヤしだし、警察が話を聞きにきたりして、結構な演奏会になった。でも増本さん曰くもう少し音楽になると良かった、とのこと。以上やった側の話。これを映像を通して、様々な場所で行われた演奏とのバリエーションとして見る側になると、各演奏が都市の中の名指しのし様がない風景への名前付けのように見えて興味深い。そこにあるどの物体を使って音を出すかは、当然ながら場所が変われば変わる。演奏自体も魅力的だが、他方でそれが風景への言及を持っているようでもあるのだった。