リサーチ・フォー・リサーチ#3


リサーチの相のもとに近代建築史を眺め直そうとする、また別の歴史への招待をこれまで述べて来たのだが、ここからその歴史の見通しの悪さが語られる。これまで語られてきた歴史の襞に隠れている、にもかかわらず異に重要だった二つのファクター、第一次世界大戦と余暇の問題が後半。

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いくつかの瞬間に、この歴史がどれほど見通しの悪いものなのかに気づく。例えば、リサーチに関するいくつかのアーカイブはすでに破棄されてしまっている。ヒルベルザイマーはシカゴで受け持つ生徒全員に、標準的な方法論にそって特定の市の地図を描かせた。それが彼に都市に関する信じられないほどの包括的知識を与え、時に彼の書いた物に跡を残しているようにも見える。これらすべてのリサーチはどうやら失われしまったらしい。どおりで私たちは常にハイライズ市の同じイメージを見ているわけだ。私たちはヴァン・エーステレンとヴァン・ロウハイゼンとが恊働して行ったリサーチに関するアーカイブを探していたのだが、どうもアムステルダムで破棄されてしまったようで、そうでなければオランダ建築インスティチュートから名も知らない政党へ渡ってしまった。どおりでヴァン・エーステレンに関する印象的な四巻組の書籍がリサーチャーとしてのヴァン・ロウハイゼンのことをほとんど言及していなかったり、あるいは彼のリサーチを取り扱おうとしていなかったりするわけだ。レム・コールハースやヴンター・ヴァンスティファウトのような個別の批評家や建築家はナイーブにヴァン・エーステレンをあざ笑ったりするだろうが、それはある種の大きなモンドリアン絵画を実現することこそ人生の目標だと考えるようなものだ。それがなぜナイーブかというと、政治家や公務員が彼らを好きなようにはさせないということを考慮に入れていないからで、ましてや彼らのオペレーション・スケールを考えてもそうだろう。そしてエーステレンのプランはオランダのカントリーサイドの大きな一部であるアムステルダムのポルダーズにおける拡張プランに関与するのみならず、ネーデルランドにおける都市計画の編成や法則にまでなっていることを彼らは考慮に入れていないからだ。


すでに私たちはこの最初の概観で、きわめてドラマチックな都市計画に関する歴史への既存の視座を変えるような驚くべき発見をなしている。ここで二つほど紹介させてもらいたい。


例えば、第一次世界大戦ブルーノ・タウト表現主義建築にとって非常に大きな影響を与えたが、それはちょうどバウハウスの総体的な成立にとってと同じくらい重要なことだった。ほとんど注意が向けられることのない事実だが、関係諸国のどれからも攻撃されないために、プロジェクトの中心に据えられた塔が異なった国々によって所有されるル・コルビュジエの300万人のための都市のような多くのプロジェクトにとっても、それはまた重要なのことであった。戦争経済に関するオットー・ノイラートのアイデアが、第一次世界大戦後の完全なる社会化やどのようにしてウィーンでそれを実現するのかに関するコルビュジエの考えにどれほどの影響を与えたのかに関しては完全に無視されているのだった。


居住、衛生学、交通、汚染の問題から厳密に離れて考えてみると、近代的な建築やアーバニズムを押し進めた慣習的な力、多くの新たなプランに対する大きな影響は、余暇がもたらした。今日それは流行に関する問題であるかにも見えるが、20世紀にはもっと重要なものであった。より象徴的なことに、私たちはこれをアムステルダムの拡張計画に見ることができる。そこではスポーツ場、公園、そして森林として、巨大な緑の斑点が突如として現れたのだった。この事実は即20世紀初頭にヨーロッパ全土へと広まった8時間労働に関係する。要するに空間が余暇活動に奉仕しそれにあわせてプログラムされたということだ。またそれとは異なった方向から、余暇はウィーンでの移住運動において重要な役割を担った。なぜなら労働者は手が空いていても、自らの住居を建てることしかできないし、自らの食べ物を育てるくらいのことしかできないからだ。ギンズバーグによるモスクワ計画は完全に余暇という思想に基づいている。そこでは週4日労働が問題となった。50年後、コンスタント・ニーウェンホイスのニュー・バビロンは完全に機械化された生産によって人々が全く働かなくてもよいようになるという考えに基づいている。興味深いのは、ル・コルビュジエCIAM憲章から完全に余暇の問題を外そうとしたことだ。でもその理由はなんとなくわかるだろう。フランスには8時間労働の慣習がなく、むしろ労働は日に10時間だった。そういうわけで余暇をどうしようかという切迫感がそれほどなかったのかもしれない。