アフター・ゼロ
Volume#18の序文の日本語化をRADウェブサイトに挙げた。
この号では現在流行継続中の「サステナブル」が焦点化されている。タイトルは「アフターゼロ」。いわゆるゼロエミッション云々だとかカーボンニュートラリティだとかいう「ゼロ」への規制やサステナブルの大合唱は問題にされているけど、それは手段でしかなく、それを経たあとにどんな社会を描くのかこそが重要だ、というのがおそらく「アフターゼロ」という名の意図。当たり前だ、とか思われていそうだが、にもかかわらず実際それはあまりなされていない。
こういう穏当な前口上が付記されている一方で、オースターマンによる序文は「サステナビリティ」によって建築家の職能が再度どう生きるのか、というものになっている。温暖化は他の火急的問題に比べたらさしあたっては大丈夫だから、京都議定書実現のためにアホみたいな金額賭けるよりは個別の対策にその何十分の一の予算を充てた方がいい、という冷静な提言をなすロングボルグのような意見を想定するなかれ。この文章のなんと野心的であることか。
- 作者: ビョルン・ロンボルグ,山形浩生
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2008/06/28
- メディア: 単行本
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ほほほ、と思うが、翻って日本ではどうだろう。何年までに二酸化炭素を何%削減云々、しかもそのパーセンテージが狂気的であるようなほぼ実現不可能な公的約束が善きこととして取られかねない現状にあって、周りを見れば「これで温暖効果ガス何%カット」といった定量的な文言しか出てこない。問われるべきは、空間的想像力の飛翔可能性だ。風が吹いたら桶屋が儲かる的サステナブルシステムを、サステナブルの名の下にどうやって売る?数字で示す?でもその数字自体が一体何を意味するのか誰にわかるというのだろうか?空間的モデルの説得可能性を成立させるためにどんなカードが果たして有効なんだろうか。オースターマンの意見はとても野心的で、とてもポジティヴな側面をとらえて私たちを鼓舞してくれるけれど、これがどのように運用可能か、ということは常に忘れちゃいけないなと思う。