ひとりREADTANK4―補遺

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「ブロック単位で都市計画を考えよう」という旨を額面通りにとらえて、これを既視感のある議論だと思う向きも(もしかしたら)あるかも。曰く、日本では既にダレダレが似たようなことをやっている、など。でもこの反論はちょっと待ったほうがいいと思っている。つまりこの議論が問うているのは、住宅地域/その外という形で分割されている個人化/効率化という問題の境界線をどう引くのか、というところにあるのだ。

そういう意味でこれは都市のなかでどのような「建築」を実現するのか、という話ではなく、都市にどのような「アーキテクチャ」を持たせるのか、しかも具体的にそれはどのような形になるのかという話なのだ。そしてこれは既存の都市をどう変えるか、というよりも、これからできてくる都市をどのようなものにするのか、という切迫した問題だと思うのだ。