山本学治と造形

ここ二回ほど山本学治さんの論を少し参照にしてきたけれど、氏がどのような人であるのかヒントもないまましれっと引用してしまったので、ここで少し紹介します。


創造するこころ―山本学治建築論集〈3〉 (SD選書)

創造するこころ―山本学治建築論集〈3〉 (SD選書)


死んだ後も石碑を建てられリスペクトを受ける有名な建築家(エリアス・ホル)と、優れた建物を建てたけど無名のままだった建築家(トーマス・クレプス)のエピソードを語った*1あとで、さてそのときに「意味ある形としての美しさ」をつくることにおける建築家の造形力とか個性の役割ってなんだろう、と問う。で、こう語る。

私が述べてきたような美しさの創造に必要な条件は、その創造行為が何らかの意味で、それを求めそれを使ってゆくであろう人々の共感に根ざしあるいはその共感を呼びおこすものであるということだ。その場合、建築家の優れた造形力や個性は必ずしも必要ではない。むしろその建築家にどうしても必要なものは、それを建てる町の人々の共感に根ざし、それを呼びおこす建築のあり方を探りあてる能力である。

「ヨーロッパ旅行より」1975年


面白いなと思うのは、「町の人々の共感」とか「機能」とか「時代精神」(ツアイトガイスト)とかを「形」を通して実現するのが建築家じゃない、と言っているところ。つまり「つくり方」の話にしていないところ。「形態は機能に従う」とか「建築は空間的に補足された時代精神だ」とかがつくることのロジックへとそれらを動員していたのとはちょっとニュアンスが変わっている。上に引用した文章は75年のもので、近代主義批判真っ盛りの時期であったことを割り引いてもこの書き方は結構面白い。さてそして。

われわれが現在古い寺院や神殿を眺める時、その美しい造形に心を惹かれる。それは形としての美しさをわれわれに感じさせる。けれどもそれは建築としての美しさではない。そのなかで祈りそのなかで暮らした人間群が日々の行動から受け止めた美しさとは違うのである。

「造形という罪とは何か」1960年


結論はこういう旨だ。建築は「外から見る」ものではなく、「なかで感ずる」ものである。1960年代の文章。構造表現主義華やかなりしころにこの発言。最後に「さて世界デザイン会議はどうなるかな?」という旨の文章が添えられて終わるのだが、この会議上で生まれたのがメタボリズムだった。

  • -

これだけの引用で云々するのもアンフェアだけど、山本さんは構造を語りながら、建築家の役割を「造形」から「開放」しようとしている。勝手にもっと言えば、氏の言う「美しい建築」というのは必ずしも「新しく」建てられなければならない類いのものでもなかったんじゃないか、と思う。例えばこういうところからも。

建築の技法という言葉のなかに私が包含したい意味のひとつは、それらの建築技術の最新の成果をある程度全体的に把握し、ある目的のために、それらの技術内容とそれを動かす専門家群とを、設計と施行の段階で適切に組み合わせリードする能力、ということである。

「現代の技法と形への願望―林昌二」1972年

*1:正直どっちも知らない。前者エリアス・ホルElias Hollは17世紀前半のドイツはアウグスブルグを中心に活躍した建築家で、イタリアやフランスの新鮮なルネサンスの息吹を持ち込んだ、とある。山本さんが彼の記念碑を見に行くと、地元のおっちゃんが「フッゲライ(という連続住宅のこと)見に行け!」と強く進めてくれたようで、その設計者が後者トーマス・クレプス。