木とコンクリートのはなし2
この前少し書いた大阪城RC造化の古川氏と薬師寺改修の西岡氏との素材に対する異なった見方とは何かということ。それは、当たり前のことだけど、素材の可能性を引き出そうとしているかどうか、ということだ。
- 作者: 山本学治,茂木計一郎,稲葉武司,中村精二,三上祐三
- 出版社/メーカー: 鹿島出版会
- 発売日: 2007/09/01
- メディア: 単行本
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ここでもやっぱり構造史家山本氏の本を引き合いに出そう。突然だが、氏の素材観とは(おそらく)こうだ。「素材は工法と不可分であり、優れた建築家は素材の可能性と向き合いながらデザインする者である。」故に彼にとって優れた建築家とは素材の可能性から導き出される工法や構造を含み込んだ上で、「ある目的のために適切に機能づけられた建物を形作ること」つまりデザインを思考できる者である。
現代建築の不幸は、デザインが構造と分離していることにあるのではなく、構造計画を含まれない設計行為をデザインとしているところに始まっている。
この発言は山本氏の思想を十全に反映したものだ。そしてきっと現在でもこの批判には意義がある。ただ、これを「建築家は構造にも詳しくないとダメだ」という意味でとらえると誤りだ。上の引用はこう続く。
それ故この不幸の解消のためには、従来の意味でのデザインと構造の協力というよりも、そのおのおのが各自のあり方を改変して、おのおのの分担を組みなおすことが必要だと思われる。
ここで批判されているのは、いわば古川氏のような「工法」観だ。いや、観というか、氏がRCを工法として見ていなかったのかもしれないことだ。氏は「かたち」から設計を始めることでRCの「最先端さ」を、木材等々の「代用物」の座に貶めてしまった。
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ここでポイントなのは、この二つの例はどちらも「改修」(再現?)の話である、ということ。愚直に従来通りに木造を採るという西岡氏の判断は非「最先端」だったのか? 古川氏からの言葉が西岡氏のものに比べて極端に少ないのはアンフェアかもしれないけど、そんなことはなかったと思う。なぜなら「当時」木材を使ったということと、「現在」木材を使おうとすることとはまるで違う。社会的背景も違う、材の入手可能性も、その性質も流通も違う、道具も違う。構造を考えるということは、それを可能にする制約だとか条件だとかを考えることであり、その「違い」を西岡氏は「いま」解いた。解いた上で、「美しい」伽藍を願った(文字通り、数百年後に投げかけた)。これは「古くさい」話だけど、僕にとって、西岡氏のこの解こそが最先端だと思う。古川氏の言うRCの「最先端」は、いわば素材そのものの「新しさ」でしかなかった。