解体工学とまちづくり

ここのところ技術の話をいくつか引用してきたので、今回はそれからちょっと展開して解体工学とまちづくりの話へ。唐突だけど、まず黒川紀章の「解体工学の思想―建築におけるエコ・システム」という論文(pdfで読める)から引用。なおこの文章は、建築物の解体について語っている。

技術の進歩には、3つの変化の様相が多重構造的に重なり合っている。

  1. 技術の進歩が、その技術分野の変化にとどまるもの。
  2. 技術の進歩が、他の技術分野との統合、変化にまで影響を与えるもの。
  3. 技術の進歩が、技術分野にのみとどまらず、直接的に人間生活の感覚的分野、意識分野にまで影響を与えるもの。


いきなり技術の進歩といわれても、と思うところもあるが、進歩とはつまり進むことであり、それは同時に古くなったものを交換することと同じ意味になる。そのとき「技術そのものの内部変化」に関しては「その技術の交換」を行えばいいのだけど、「建築や都市の変化の要因には、人間の主体的な変化の要請がある」ので、そうした物理的「耐用年数」を念頭においた交換のみでは間に合わない。例えば住宅の「子供部屋」が15年そこそこで役目を終える、という事実を考えてみるとこの話は分かりやすい。物理的とは別の層に「社会的耐用年数」が考えられないとダメだ。

技術の変化に対応するという技術サイドからの必然的な変化ではなく、そこに住む住居が、その都市の変化を主体的に発生させることによって、人間の形成に参加するというシステムがなくてはならない


「物理的&社会的耐用年数」(プラスしてここに「経済的耐用年数」が加えられる。流通の問題とか)を意識しながらデザインすること、それがつまり「その都市の変化を主体的に発生させる」ことであり、その「システム」には「メタボリック」なニュアンスが読み取れる。ときにこの「代謝(メタボリック)」という生物学的な比喩がほのめかす、小さな死(解体)の反復によってなされる生命の維持活動というところがポイント。これは「維持工学」のための論理であり、「解体工学」の論理でもある。

万国博のパビリオンの解体工事をみても、かなりのものはワイヤーで引きたおす方法、鉄の玉でくずす方法、ブルドーザーで引きたおす方法など、きわめて原始的・非効率的である。特にはじめから解体が予定されているパビリオンを、なぜはじめから解体設計を考えておかなかったのか不思議というほかはない。


このあと黒川氏はこの時自分が設計した「タカラビューティリオン」がいかに有効であったかを書くことになるが、そのための枕であることを差し引いても、輝ける未来都市の提示に成功した70年の大阪万博の、こうした「終幕後」事情は結構興味深い。これだけの「都市」が数日の間で廃墟と化し、それが崩壊していく様は当時の人々に「スクラップ&ビルド」がどのようなもので、それがいかに不気味であるのかを植え付けるのには十分だったのでは、と思う。


ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書)

ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書)


開発一色の60年代から、公害訴訟が噴出した60年代末を経て、「開発をなんとか阻止しようとする市民からの動きが浮上してくる」70年代初頭という「反開発」への流れの中、万博が見せた壮大なスクラップ&ビルドはひとつのエポックメイキングだったのではないだろうか。ヨコハマで長くまちづくりに関わってきた田村明が、反開発の機運からまちづくりへと向かう事例が70年代後半に増えたことを指摘し、こう続ける。

住民たちは、「ふだんはその価値に気づかず、いつまでもあるものと思っていたのが、ある日突然に失われそうになってその価値に目覚」める。目覚めは現実を変える行動となり、環が広がっていく


こうして見てみると、解体工学とまちづくりとは同じような状況を背景にしていたようにも考えられる。「いつまでもあると思っていた」ものの生が実は有限で、その個別の死をどう考えるべきか、というところ。ポイントなのは、被害者/加害者の対立が明確であった「公害」的状況から、70年代へと移行する中で、その対立がよくわからなくなったこと。個別の死は誰か所与の者によって与えられるものではない、だからこそ、その死をあらかじめ所与のものとしてどう状況をデザインできるか、というところに、この二者のポイントがあるような気がする。