ストーリーテリング

こういう座談会を文字起こしした文章があって、それをふんふんと読み進め、最後のくだりでびっくりする。最後のくだりがこうだ。

途中ですが、ここで打ち切らせていただきます。残念ながら最初に抱いていた、議論がかみあうことなくすれ違いに終わるのではないか、という不安が現実になりました。企画の不手際をお詫びいたします。


な、なぜ載せた!!?


とまれ、この座談会、テーマは「建築環境工学」と「都市計画」は結びつくのか? というもの。建築環境工学というのは、「熱の問題から建物のゾーニングをどうするか」だとか、「風の関係から道路の向きをどう取るか」といった問題を扱う分野。こうした「環境工学」的観点からの都市計画は可能か、というのが座談会の問題設定だったわけだ。時は1980年。


ただ、この座談会、テーマにはかみ合っていなかったかもしれないけど、話されている内容は結構興味深い。そんななか、座談会のつまずきの石が割と始めのほうに大谷幸男さんから指摘される。

環境工学あるいは環境科学が客観的にとらえたデータが、都市のマイノリティーを切り捨てるときの武器に使われることがある。(中略)環境工学と都市計画の間をどうやって埋めるかが重要な課題だと思います。


先に挙げた「熱」や「風」といったものだけを考えても、そこから導きだされた数字をどうやって都市の計画へと適応させていくのかこそが一番の問題なのだ。AだからBというのは、例えば個別の建物では分かるけれど、都市くらいのスケールになるととたんに分からなくなる。かといってそこのロジックを欠いたままでいると、例えばホームレス排除の隠れ蓑になったりするんじゃないの? ということ。


でも思うに、これって無理なんじゃない? どれだけ緻密に環境工学的調査から数字がはじき出されたとしても、それを「みんな」に同意してもらう必要がある。緻密になった部分は、それを具体的に説明すればする程、「ブラックボックス」になってしまわざるを得ない。だってものすごい数式出されても、それがこうなるっていう帰結が分からないし。

その時代に一番困ったと思われたことをうまく解決していると思われたのが、その時代の理想都市です。


だけど都市は長い時間をかけて、思わぬハプニングを含み込んで進んでいくものよ、という西山氏の意図を誤読すると、「そう思わせられること」は強いということにはなるまいか。


だとすれば、そこでどんなストーリーを構築できるか、こそが問われるんじゃないか。熱の問題からこのエリアはこういう風にします、というよりも、壁面の何%を緑化します!とか、都市に風の帯を!と言ったほうが実現の余地があるのでは。これは多分「リアリティ」の問題で、都市環境工学と都市計画の間には他者の想像力を喚起するためのストーリーの組み立てが必要だと思うのだ。


つまり、大谷さんが述べた「間を埋める能力」のひとつが「ストーリーテリングの能力」だと思うのだ。現状、都市はテーマパーク化していくかもしれないし、それを止めることはできないかもしれないけど、そこにはもっとバリエーションがあってもいいはず。そのバリエーションをきっちりと正当化させるために都市環境工学が豊かに使われたら、「マイノリティー問題」にも対処し得るかもしれない。彼らを含み込んだストーリーも、ひとつのバリエーションとして並んでいる可能性があるからだ。