Volume#20 Fact and Fiction後半の後半

建築にとって、なぜストーリーが重要なんだろうか、そしてなんでこの雑誌にローゼンさんのインタビューが載ったんだろうか、ということを少し。まずジェフリー・イナバ氏の序文(参照)から「ストーリー」って何かについて。

建築案の礎を築くがために、建築家にとってストーリーは重要だ。とあるプロジェクトのさっくりとした課題や制約が素描され、建築的な戦略や形態的な帰結が規定されるのもそうしたエピソードを通してのことだ。というわけで私たちは物語(tale)がどのように伝えられるのかを知る必要がある。


行われるべきプロジェクトは「語られる」必要がある。依頼者から建築家へ、建築家から依頼者へ、あるいは依頼者や建築家からその他の人々へ。その際いくつもの語りうるストーリーが生まれ、その語り方に建築的解決策やそれから導き出される形態が規定される。日本住宅という舞台でその事実がグロテスクに踊っているのが、例えば「ビフォーアフター」なのかもしれない。そこには誇張があるかもしれないし、語り足りなさがあるかもしれない。だから建築/家にとって、プロジェクトが語られる際のストーリーに着目することが重要なのだ。


さて、引き続きイナバさんの序文から、前回前々回引いたジェイ・ローゼンインタビューへの言及箇所を抜き出してみよう。

ジャーナリズムの専門家であるニコラス・レマンとジェイ・ローゼンは、現在の不安定な時代に関してストーリーを書くという特定の課題について話し合うことで、ひとつのヒントを与えてくれる。(中略)一方でローゼンは、データの収集源を説明し私たちが負う社会的な説明義務について概説する。いずれもが私たちにストーリーへと深く関わり、それを吟味することを促す。受け取られた報告が残わしいときや、ある説明が読者に対して引き起こすかもしれない行動を意識するとき、時宜にかなった物語をつくるにはどうしたらよいのかという現実的な提案を彼らは示しているのである。


ジャーナリズムにおけるプロ/アマの違いを指摘するローゼンさんの話からはいろんな帰結が得られるだろうけど、多分ひとつ重要なのは、ここでの「私たち」という言葉であり、これはおそらく一般的な大衆個人個人を指している。プロジャーナリズムの持つ特別性(彼は三つ挙げていた)は残るけれど、でも一方でアマチュアも伝達のためのツールを持ち得る、そしてそうした状況に対して柔軟に対応できる(プロの?)ジャーナリストが生まれうる。「私たち」に求められていることは情報の受容者としてその是非を吟味するだけではなく、自らが持つ問題を効率的にストーリーへと構成することなんだと思う。


ローゼンさんの指摘で最も印象的だったのは、「アマ」ジャーナリズムは参加から生まれ、また別の参加のためになされる、という旨の言葉だ。建築家にとって耳を貸すべきストーリーは一体どこで語られていて、どんなことが語られているか。そしてそのストーリーから建築家としてどんなストーリーを投げ返すのか。問題解決のためにはよき問題提案が必要であり、その提案者の椅子に座っている人はもはやプロジャーナリスト「だけ」じゃない。建てることを超えた建築、と言ったとき、具体的にはこうした問題にこそ現在性があるんじゃないかと思っている。