WHY CAN'T WE BE FRIENDS?


rep.05|YUASA RYOSUKE / nothing and something」はじまりました。10月11日までの会期で、昨日はrep.05のギャラリートーク。ギャラリートークしましたよ、という記事をRADのウェブに挙げた。そしてそのときちょっと思ったことを以下少し。


「建築のカッティングエッジな表現を追求する」ということの対義語は、いつからか「現実に起こっている社会的な問題を解決する」というようなことになった気がする。前者は後者に個別的解決でしかないとか言う。後者は前者に社会性がないとか言う。


でも、どちらも個々の仕事では素晴らしい貢献をなしているはずなのだ。だから優劣はない。なぜならお互いにちゃんと「現場」があって、そこでしのぎを削っているはずだから。この対立は、お互いがお互いに都合のいい「仮想的」をつくって、それに文句を言っているようにも見える。これってなんかちょっと無駄じゃない? 


かといって、他所は他所!っていうスタンスもちょっと残念。もう少しお互いライバルになったほうがいいと思う。そんな正当化にエネルギー費やすの辞めたほうがいいと思うから。もっとうまいこと話あうことができる、また別の「現場」はつくれないのかしらん?