湯浅良介「nothing and something」アフターノート

rep第5弾湯浅良介展のアフターノートをRADウェブにあげていた。


architecturephoto.netさんが特集してくださったときに彼の推しポイントを「想像力」のあり方だと書いてみたのだが、ソノママだとただフワフワしたファンシーな話にしかならんのではないか、と思い、アフターノートでは「想像力」がどう彼の設計に含み込まれていて、それがどういうことを示唆しているのか、ということを書いてみた。こちらも想像をたくましくしたので、湯浅君が考えていることとはあまり関係ない話になつたかもしれない。


ひとことで言えば、それは日々起こってることをチープに戯画化したようなところがあって、そこには皮肉っぽいからくりが見える、ということを書いている。展示からは分からん! と言われそうなことをつらつらと書いており、それはその通りですすみませんと思っている。が、最近この文章を数回書いてきて思うことは、人の試みの「日常を映している部分」をちゃんと説明しよう、ということだ。こんな変な形した模型ですけど、その根っこはあなたの人生の側にあるんですよ、ということを言いたい。その関係性が90%でも1%でもいいから、とにかくここにあるものを「よそ事」にしたくない。


なんとなく面白そうだな、と思ったものを見たときに人に話したくなるあの感じ、その延長上にこのような文章を書いている。この先「湯浅良介」という人間に興味をもってくれた人がいたとき、この文章にその人の話し相手をかって出てもらいたいという、随分とおせっかいかつ他力本願な意図で書いている。