タウンとアーキテクト01

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)


うまくいかない「地域再生」の話
ハコモノをほしがる「土建工学者」、そこに住まう人のことを考えていない事なかれ主義の「自治体」、(このときにもちょっと書いた)前例主義の「地域再生事業者(コンサルとか?)」、この本は「地域再生」の現場に横行するこの三つどもえ構造の弊害が書かれている。


いきなり
斜に構えたことを言うと、この本は「地域再生がうまく行かないのは、こういう考え方をする人たちがしていた地域再生だからダメなのであって、それは具体的にこう間違っている」という論理の構成になっている。最後に著者による積極的な地域再生の提言が出されているけど、それは要するに「こういう考え方をする人たちがしていた間違った地域再生」じゃない地域再生、ということになる。これはあってるとも間違っているとも言えない。まだ起こっていない(か、その成功が確認できない)からだ。これはまた後で。


まず簡単に著者が批判する「地域再生」の構造をまとめます
まず「地域活性化起爆剤」として地域にハコモノが建てられる。それが土建工学者やその関係者に「地域再生の成功事例」とお墨付きが与えられる。次に他の自治体は事業者に決定を丸投げし、事業者はその「成功事例」を真似る。最初に戻る。地域再生事業はこういう縮小再生産によって成り立っている。で、例えば仮にこの「成功事例」が本当に成功しているならいいけど、でも実はそうじゃないんだよ、ということがこの本で個別具体的に明らかにされていることである。


ということで、著者の結論は
「机上の空論でしかない上から目線で事なかれ主義な前例主義的地域再生はダメ」ということになる。一言でいうと「都市計画の失敗」と同じ構図がここにもあった、ということになるだろうか。でもそんなことを言っても誰も得しないので、もう少し丁寧に言うと、それは要するに「だれも前を向いていないから失敗する」ということになる。超近視眼的に自分しか見てないから、もうちょっと目線を上げたら見えてくる「人」だとか、さらに胸を張ったときに見えてくる「よりグローバルな状況」が見えない。上にまとめた流れに一貫していることは「誰も「失敗」していない/しようとしない」ということだ。そのくせ決定にかかるリスクはやけに高い。というかそのリスクが高いから失敗を怖がる。


間抜けですが

「机上の空論ダメ」という結論に対して「机上の空論」ですが、僕は個人的に、著者がにもかかわらず地域再生にはコレコレが利くぜ」という構造を批判してはいない(いるのかな?)ということにちょっと違和感を感じる。むしろ、決定に関わるリスクを下げて「失敗しやすくする」っていう方法はないのだろうか、と思う。数十億のハコモノを建てるんじゃなくて、それを1000万×数百みたいにして、それを持続的に使っていくとかさ。ちなみにこれは以前山崎亮さんが実際に試みた方法らしいが、なんだかすごくシンプルかつブリリアントなやり方だなと思った。名付けて「ハコモノからムダヅカイへ」ネーミングもキャッチー。ただ、不勉強ながらその方策が「うまくいったのかどうか」が分からない。


さらに間抜けに知ったようなことを話します

さて、じゃあ建築の分野からこれをどうとらえよう? 「土建工学者(これって具体的に誰のことなんだろう?)は諸悪の根源」って超批判されてるけど、でも建てなきゃいけない現実だって、「土建工学者」がどうあがいても、ある。地方にいる建設業従事者はみんな「おまんま食い上げだ!」って言うんじゃないの? そういう人たちの「ふざけるな!」っていう声を聞いていれば、「土建工学者」のハコモノ礼賛方針なんて自治体にとって渡りに船じゃない? 「土建工学者」のゴーサインなんかよりも、そういう構造の方が問題じゃないか? そういう構造をどうにかしようとせずに特定の誰かを批判しても仕方ないんじゃない? なんだかんだ言ってやっぱり公共建築は最終的には「建たなく」なる。少なくともパイはずっと小さくなるだろう。その段になって「自分たちにはどうしようもない、お金出ないから」という「いいわけ」ができるのを自治体は待ってるんだろうか。結局最後は痛み分け、だったら今からムダヅカイでコマゴマやってこうよ、って、そういうこと言ってトライする自治体ってないのかな? あるはずなのだ。


結局言いたいのは

数十億円イッパツつかって公共建築つくるよ、っていうのがこれまでだとしたら、そこに建築的思考の介入する余地はあんまりない。これまでと同じようにして、慣習から外れてくる微妙なズレに「クリエイティヴィティ」を費やして、似たりよったりの建物が出来上がっていくのだろう。そうじゃなくて、数千万をポコポコポコポコポコ使い続けて建築やら音楽やら商売やら宗教やら何でもいいけど使って公共空間つくるよ、っていうほうが取り組み甲斐がないか? アイデアの出し甲斐もあるし、それが失敗しても「大金イッパツ」よりリスキーじゃない。大企業にとって数千万ははしたかねかもしれないけど、そうじゃない集団にとってはちょっとしたお金だ。それを受け入れる自治体だって「じゃあやってみようか」ってずっと言いやすくなるし、それが失敗であっても、持ち逃げされない限りは「まあ地域に落ちたからいいか」って思いやすくないか、と、そういうことをちょっと思っている。