地方で演劇をつくること


OUR dialogue #3 舞台芸術の<現在>」へ行ってきた。お話は京都を拠点にし、演劇・ダンスアーティストのマネジメントを行い、京都国際舞台芸術祭2010「KYOTO EXPERIMENT」プログラム・ディレクターでもある橋本裕介さん。彼がなされているお仕事が「地域と演劇」を考える上でとても興味深かったので、僕は演劇にはまったく詳しくないのですが、そのことを書きます。「現状演劇はどうなっているか?」という一番大事なお話の詳細は書いてませんので注意。


例1:経済
劇団にスポンサーがつき、その羽振りもよく、お金も豊かに使えていたバブル期をとうにすぎ、いまとなっては演劇に関わる人々は経済的に困窮している。劇団はノルマを課してチケットを劇団員に売り、そのお金で公演を回す。ノルマを課された劇団員はそのチケットをさばかないといけないが、地方でやるあまり有名じゃない劇団の公演はなかなか売れない。チケットのさばかれ先は友達&知り合いで固定化しがちで、そうなれば劇場を占める観客も固定化し、内容に関する批評が起こりにくい。主要な収入源のチケット販売には告知の必要もあり、そこに劇団員のエネルギーが注がれてしまえば、公演内容に支障も出てくる。だから橋本さんは告知とチケット販売を引き受け、劇団員に公演に集中してもらえる環境づくりを行う。橋本さんの「マネジメント」はこれだけにとどまらないだろうけど、これだけを見ても彼がなしたいことが分かる。


例2:場所
橋本さんが拠点とする京都には、京都芸術センターという場所がある。企画を出して、面白そうだと認めてもらえば(演劇に限らず)制作場所が無料で貸してもらえる、という画期的な場所である。複数の演者がひとところに集まれば対話の可能性も増える、はずだったのだが、現状どうもそうなっていない。サッと入って、パッとつくって、それで終わってしまう、体のいいフリースペースのようになっている。この状況を心配した橋本さんは「演劇計画」というプログラムを立ち上げる。演劇を短期間でワッとつくりあげるのではなく、演者に少なくとも2年間滞在してもらい、劇団内外での対話を重ねながらじっくりと演劇が成立し得る環境をつくる。これがそのねらいである。「KYOTO EXPERIMENT」もその一環としてある。


個人的見解
個別的な問題に対処するだけじゃなくて、「地域で演劇が成立すること」がいまどんな問題を抱えているかをつぶさに見ながらその改善を目指そうとする橋本さんの活動は、「よりよい演劇が成立するためのよりよい環境をつくること」において一貫している。上の二点はその一例だ。演者さえいればどこででも演劇はつくれるだろうけど、でも届けうる広がりだとか、劇団の数だとか、そういう数値的な利に運営的観点から目がいかざるを得ない厳しい状況において、「ある場所で」演劇をつくることの意味が見いだしづらくなってしまうのもあり得る話だと思う。そういうなかで、「京都という地で制作することはどういうことなのか」を具体的なレベルで着実に整備していく橋本さんの批評性と活動の意義は深いなと思ったし、それ以上に「それをプロフェッションにしている人がいる」とか「そういう環境が整っている」という事実は心強いはずだし、地方にとっての求心力にもなるんじゃないかと思った(※参照)。

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それから1:国内
じゃあ日本国内でそのような環境が整っているのは他にはないのか? というのがシンプルに浮かんでくる疑問である。同じ、ではないだろうけど、興味深い活動を行う地方の劇場はいくつかあるそうで、例えば、専用劇場と専属劇団を持ち、三つある劇場の中のひとつは野外劇場というユニークな「SPAC」(静岡。ちなみに拠点のひとつは磯崎新設計のグランシップだそうです)だったり、企業化していて、演者は9時5時というサイクルで勤め人のように制作を行うという「りゅーとぴあ」(新潟)だったりと、いくつかの例を出してもらった。どういう運営形態か、という点で劇場を見るっていうのも楽しそうだけど、えらくマニアックな見方かもしれない。


それから2:国外
で、目線を国内からさらに広げて海外の事例紹介。ここでは建築的な話もありました。海外の面白そうな劇場ではそれに併設してカフェなど対話スペースが充実していて、公演後のおしゃべりにも最適。どこかハンドメイド感に溢れていながらクールな空間になっている、というところが印象的だったそう。元駅舎だとか、元倉庫だとか、そういうありものをコンバージョンした劇場の例も多そうで興味深い。どういう空間で稽古するのか、という空間的性格もきっと演劇のアイデアには影響を与えるのだろうな。稽古場のみならず舞台装置も含めて、空間的観点から見た演劇の話もぜひ聞いてみたいところだ。