1960年代を再訪する1

Radical Games: Popping the Bubble of 1960's Architecture

Radical Games: Popping the Bubble of 1960's Architecture

タイトルは『ラディカル・ゲームズ―1960年代建築のバブルをはじく』


1960年代の話。これまでのことをちょっと振り返ると、かつてカウンターカルチャー的意識とともにあった「環境への関心」というトピックの変遷を分析する「Expanding Environmentalism」だったり、60年代の都市計画にあった「what if」モデルの超克をねらうヴィニー・マースへのインタビュー「YES, BUT」だったり、サイケデリック文化からコミュニティを考える「Neuropolitics」だったり、これらが収められているボリューム24号「カウンターカルチャー」特集でも、1960年代は大きなポイントになっていた。


一方、「TOKYO METABOLIZING」のところでも出て来た通り、60年代は日本発の国際建築運動体メタボリズムが世に出た時代でもある。同時期にピークを迎える都市計画の狂騒時代の熱は、65年、アレグザンダー「都市はツリーではない」による冷や水(というか根本的批判だけど)によって下げられた。もちろん60年代はそれだけじゃない、というのは先に挙げた三項が示すところでもあるが、これだけを見ても「60年代は「特別な年代」だったのだ」という思いがよぎる。その「特別な年代」は現在にも残響を留めているのだが、その中にはドグマのように凝り固まって「当たり前」かのような顔をしている考えもある。


「60年代という特別な年代」というイメージや先入観の影に隠れて、そこには輝くような着想や洞察があった。だからそこに目を向けてみよう。その年代や「60年代的なるもの」(volume24号で言えばそれは「カウンターカルチャー」が軸になるか)に対して私たちが持っているイメージや先入観を考えなおしながら(「バブル」をはじいて、と副題にもあるのはそいういうことだ)、その「特別な年代」を特別だ特別だと言っていないで「どのようなものであったのか」を冷静に見てみようよ、という流れがいまあると思うのだ。この本やvolume24号は、そういう流れを反映している。

1960年代を再訪する/Revisiting the 1960s
 ―Lara Schrijver『Radical Games』序文


この本は1960年代の名残、そして今も建築の中に残るその存在感について書いたものである。その名残は両義的なものだ。1960年代は刺激に溢れ、当時の建築プロジェクトはそれを反映している。と同時に、それは今日的な言説にも痕跡を留める教条的思考の基礎を含んでもいる。1960年代の建築言説(と実践)とその「ラディカルな革命」は、モダニズムへ傾倒させようとするパラダイムシフトを完全に達成するのではなく、その過渡期を形づくる。このリサーチはある時代―1960年代というはしゃぎきった変革の時―の象徴的な意味を多かれ少なかれ表明する多様な鎖をたくさん集めた、という点において総合的なものである。私はこうした刺激的かつ不完全な変容を、その時代の症状を示すものとして取り上げる。別々にとらえられたそれらの症状は、社会に対する、あるいは建築の議論における強大な衝撃を示す。総体としてとらえられることで、それらは建築や社会における建築の役割に対する特定のアプローチの境界を定める。それは今日でもその名を轟かせ続けるけれど、いまとなっては建築、社会一般、このどちらにおいても目下の諸問題にとっては不十分なのでは、と感じられる。ゆえに私たち自身の先入観を再考して、そこから浮かび上がってくる言説を再考することが必要であろう。過去の世紀が私たちに残した教条的な原理を取り除きながら、その事物の実態を取り込もうという新たな見方は建築に寄与するだろうし、同様に、その新たな語彙が建築に寄与するところもあるのではないだろうか。


これはいろいろな意味で個人的な本であって、私自身のこんな感覚を反映している。1960年代のとりわけ建築の遺産は、今日抱える問題へと取り組むには端的に言って適切ではないような多くのアイデアを私たちに残した、という感覚。私が建築を学び始めたまさにそのときから、建築の言説には何かが欠けているなと感じていた―それは何かというと、今日的な状況へと取り組むことを私たちに可能とし、なおかつ建築についても語っているような語彙だ。理論と実践のギャップは、理論的言説の境界を超える新たな建築の発展を議論することが段々難しくなったこと、また当時の文化的状況の中である理論がどのようなものだったのかを理解することが難しいことによって、1960年代と1990年代の始めとの間により大きくなっていった。そのうち私は気づく。自らを苛んでいた問題のいくつかは、1960年代からはじまる特定の形の制度化―理論の制度化とそれに伴う教条的な状況ーから浮かび上がってくることに。


多くの人々の生活に直接(そしてしばしば深く、必ずしも目に見えていたりはっきりしていたりするわけではないにせよ)触れる領域において「議論が閉鎖的で自己本位だったのだ」と言ってもピンとこないし、根本的に違うんじゃないかと思う。ある革新に関する細部の分析と、より一般的なトレンドにまつわる公の議論との間には区別がなされただろうことははっきりしている。でも、周辺分野の専門用語で人を囲い込んで、目前にある建築に直接取り組めないようにしてやろう、というような欲望が一方であったとすれば、それは品がないなと私は思う。それは、大衆が持つはっきりと系統立った議論を理解する能力に対する軽視だ。


2につづく