グレイ・グー


volume9号「Suburbia after the crash」特集より。「郊外」のおこりについて。ちなみにこの「グレイ・グーGrey Goo」には「くらい未来」くらいの意味もあるらしくて、「ナノテクノロジーの進歩により人間の管理を超え自己増殖を図るナノロボットがねずみ算式に増殖し、地球の覇者となるという状態を表す表現」とある。ナノロボットが「Goo」だと考えると、すごく小さい者がバーッと広がっていく感じか。「Goo」にはベトベトとかそういう意味もあるらしいので、間をとって「ブヨブヨしたもの」くらいにしている。詳細求む!

プロジェクトとしてのグレイ・グー


郊外は「有機的」なものでも「自然な」ものでも、平凡な市民の「民主主義的理想の高度な表現」でもなく、政府や学会の上層部にいるエリートによってデザインされた分散化という数十年にわたるプロジェクトの結果である。

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グレイ・グーのおこりは偶然でも有機的成長の結実でもない。それは高度に意図的なプロジェクトの結果である。そのプロジェクトは様々な名前を持っている、しかしその原理は常に同じ。非=都市化、これである。計画の原理は20世紀の初頭、プロジェクトを行うために―エベネザー・ハワードからルイス・マンフォードを経てー必要なナレッジベースを確立するためにつくられた。その際すべきことがらは、都市のプロレタリアートを事実上分散させることによって固定させ標準化させることであった。しかしそれが最も強力に駆り立てられたのは第二次世界大戦後のアメリカでのことだった。最も雄弁な提唱者として、例えばコンスタンティノス・ドクシアディスのような人物が挙げられる。都市の中心から離れ、世界中のさまざまなところで準=都市的低密度の定住が持続的に広がっていく、広大な郊外化を彼は予期しその成立に手も貸したのだった。彼はこれを「エキュメノポリス(世界都市)」と呼ぶ。都市の下にあるブヨブヨしたものがグローバルに連なったものだ。戦後のアメリカにおいて経済発展の動力であることに基づくこのプロジェクトは、たった一発の核攻撃に対してであれ都市の中心は脆弱である、という不安に突き動かされてもいた。産業を、意思決定のための中心を、それに関連する人口を、分散すること。これは国防のための領域的な戦略であったと見える。



コンスタンティノス・ドクシアディス「エキュメノポリス」モデル。輸送&商業ネットワークによってつなげられた、領域を横断する「グー」の未分化な風景を予期している。「サンベルト」地帯(米国南部の温暖地帯を指す)における主な成長に対して先見の明のある描写、そしてカナダとメキシコへ拡張していくベクトルが記されている。



ナショナルセキュリティ、産業、そして都市デザインの交差する関心。1957年3月の商務白書1957からのダイアグラム。



政府と産業によって促された産業分散の概念的ダイアグラム



分散化に関するナショナルセキュリティからの肯定。1950年の業界誌から抜き出したこの図像によれば、ソビエトは、アメリカの石油加工に不具合をもたらすだろう四つの鍵となる都市域に対してのみ攻勢をかける。

これは日本の、とりわけトーキョーの、現状分析。