都市計画マスタープランのこと


西山文庫に行って都市計画マスタープランに関する博士論文をいくつか当たって来た。ちなみにマスタープランというのはこういうものであり、市町村が決めるものとされている。

都市計画マスタープランとは、1992年(平成4年)の都市計画法改正により規定された「市町村の都市計画に関する基本的な方針」(法第18条の2)のことである(略して「都市マス」または「市町村マス」)。
「都市づくりの具体性ある将来ビジョンを確立し、個別具体の都市計画の指針として地区別の将来のあるべき姿をより具体的に明示し、地域における都市づくりの課題とこれに対応した整備等の方針を明らかにする市町村のマスタープラン」(法改正当時の建設省都市局長通達)とされる。 作成に当たっては、「必ず住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものと」されており、策定委員会の設置、説明会、アンケートなどを実施するのが一般的である。
Wikipediaより)


僕が参考にしたのは、「恊働的地域まちづくりの計画技術に関する研究」(星卓志)、「都市マスタープランの計画案作成のための市民参加システムに関する研究」(吉村輝彦)、あるいは「恊働的まちづくりを支えるマスタープランの計画技術の研究」(饗庭伸)といったタイトル。全部をひとくくりにすることはできないけど、こうしたところで重視されているなと感じたことは、「市民」という主体の役割に関する変化だった。


端的にその変化とは何かを饗庭さんの話を借りて言ってみよう。これまで市民は計画の策定にコメントを入れるという静的な立場に経たされていた。が、これからは市民を巻き込んだ協議の場をつくるという市民の動的な動きが必要とされる。つまりマスタープラン作成において重視されるのは、こうした自治体と市民の関係の形である、ということだ。「恊働的」とか「市民参加システム」と言った言葉はこの点に関するものだろう。


この変化はとても重要だと思う。まず、これは「都市は計画できる」ということを無闇に信じていない。かといって、「計画できないから都市計画はあきらめましょう」というニヒリスティックなことも言っていない。そうではなくて「都市を改善していくためのシステムをまずどうにかしよう」という前向きなことを言っているように感じる。ポイントは、そのためにマスタープラン作成という能動的で主体的な行為を「どう使っていこうか」ということにある。


とある論にはこうあった。「マスターアーキテクトが長年にわたり、よい作品をつくり続けることでよりよい町並みがうまれてきた。」これはちょっとナイーブすぎる評価かもしれない。でも、まちのヴィジョンを明確にするためには「どのような絵を描くか」のみが必要とされるわけじゃない。どのような主体がどのように動くのか、という「都市を改善していくときに使われるべき仕組み」のレベルからも、そこに関与することは出来るんじゃないだろうかと思うのだ。