1960年代を再訪する3


「1960年代を再訪する/Revisiting the 1960s」―Lara Schrijver『Radical Games』序文の続き。3分の3。2はこちら

ある意味、1960年代は独特のポジションを占めている。モダニズムのラディカルな批評が提示され、大西洋の向こう側にある緒世界では民主化を目指した力強い動きがあり、文化的な状況には解放、繁栄、そして技術的進歩の驚きといった感覚が染み渡っている。ただこれが独特であるという感覚は誇張されるべきではない。1960年代に行われたプロジェクトにより近づいて見てみることで私たちは、現在的な言説や実践を特徴づける、しかし過小評価されてしまいがちでもある重要な連続性と反応とを見定めることができる。この本では、三つの重要な領域が、1960年代から起こるモダニズムに対する反抗と連続とにおいて明らかにされている。都市、イメージ、そして技術がその三つだ。


これら主となるテーマは今日の建築に対する持続的な連続性から選択されている。近年1960年代にあった多様なテーマや当時の建築のリバイバルが起こっている。1960年代の建築や文化についての展覧会も多い※3。このリバイバルは現代的な建築にとって時代の重要性を持ってはいるのだが、単純にそれを「ラディカル」だとか「ポップ」だとか枠付けてしまうとその重要さがいくらか消えてしまう。この論考は当時のマニフェストや仕事を精査し、1960年代はいかにラディカルにとらえられるのか、そしてその後に続く変革の理想はなぜ失敗したのか、ということを問いかけている。根本的にこの時期を文化的状況や大衆文化を評価するための同時代的な社会として理解することによって、建築にとって重要なものの位置づけをよりよく理解するために革命や民主化はよき手助けとなるだろう。願わくばそれが、ラディカルな批評へ導く理想と、既存のものの単なるレプリカや純粋理論の具現化でもない建築を生み出す可能性との間でよりよいバランスを見つける契機になればいいと思う。三つの主要な章は、1960年代における批評のドキュメンテーションとしてのみ読まれるよりも、むしろ大衆社会に直面する個人という媒介者に許された、あるいは資本主義という状況の枠内における批評的な実践に許された、また別の批評的実践を組み立てるというねらいのもとに読んでもらえたらと考えている。


この本を構成するリサーチはオランダでなされたものである。議論されている基礎的なデータは全て国際的状況の一部であるが、この本で採られた多くの立場の基礎にあるのはオランダの文化である。そして、1960年代の理想の多くは、改訂管理構造revised management structures、学校教育の総点検、そして社会的慣習の再解釈といった形で具現可能なものとされた。様々な場所で起こった「フラワーパワー革命」はラディカルに見えたし、未来も明るいだろうと思われたのだが、それもオランダにおいては権力構造の枠内に埋め込まれてしまい実際的な形を呈することになった。今となっては古くさく見えるラディカルなアイデアの多くはこのように日常生活の一部となった。その点では理解されるべき欠点はおそらく他のどこよりもちょっとだけはっきりとしている。ここ以外のどこで大学がアンチ権威的構造へと変わるだろうか? ここ以外のどこで、個というアイデアが社会的な慣習を規定してしまうほどに拡大するのだろうか? 建築の枠内において、革命的社会に向けた、自らの決められた進歩の中で失われてしまったもの、これに私を駆り立て目を向けさせるものとは20世紀後期という重要な(kritiese*1)年月の文化的お荷物なのである。1960年代の世界と建築の役割とをいかに見るかに関する最後の言い分として、その時代の作品の中にある信念によって自らが制限されているという感覚を私が持っていなかったとしたら、これは多分そうした遺産によってそれほど強くは規定されなかっただろう。というわけで、皮肉なことではあるが、私は自身の先達や彼らの理念を強く信じていた人たちにとりわけ感謝している。それは私の信念ではないかもしれないけど、ポストモダニズムの子供として、なぜ私がパラディオとシンプソンズとの両者に、文化生産の異なったしかし興味深い形式として、親近感を表明しようとすると居心地の悪さを感じるのかがはっきりするはずだ。

*1:「kritiese」という単語は、英語で言うと「critical」を意味する伝統的なオランダ語「kritisch」の発音から類推されるつづりである。発音から類推されるつづりは1960年代の後期から1970年代の初期においてよく使われ、というのもそのように音声を根拠とする方がより身近で、故により民主的だから、というのがその理由とされていた。