リサーチとプロジェクト


たいてい、建築のリサーチというのは、プロジェクトがあって、それから始まる。それはつまり、「これこれ」という依頼があって、そのあとにリサーチがあるということである。「建築リサーチの恣意性」はこの「依頼が先にあること」から来る。なぜなら、建築家はその依頼に対して自分のデザインが正当であることを証明するためにリサーチをするからである。「リサーチ=デザインの正当化」というのはそれのみで否定されるべきものではない。でもある特定の状況で求められるものの周りにしかリサーチの対象が拡張されないとしたら、それは疑問を突きつけられるべきだと思う。一例を挙げるために、ある本の話をします。


シュリンキング・ニッポン―縮小する都市の未来戦略

シュリンキング・ニッポン―縮小する都市の未来戦略


この本はものすごく簡単に言ってしまうと、「都市がシュリンクする」というリサーチによる予測状況の提示と、それに応ずるそれぞれの研究者や活動してる人によるレスポンスから構成されている。面白いのは、いわゆる建築の提案は殆ど鳴りを潜め、ひととひとのつながりとかコミュニティ形成などをテーマにした「空間的」な提案が目立っていたところ。この傾向は「シュリンク」の方向性を規定してしまうような気がした。とまれ、この本では、「シュリンキング・シティ」というリサーチがひとつの「場」となって、そこに/から各々のプロジェクトが誘発する、ということが起こっているように見える。そしてこれは先に挙げた、「たいていの場合」とは逆になっているな、と思う。


都市がシュリンクするかどうかはよく分からないが、こうした形式が「エコ」においてなされていたか、と考える。CASBEEとか、LEEDとか、一棟単位で適応して行く環境基準は云々された。そして「緑溢れるまち」とか「100年前の豊かなくらし」みたいな、「そういう風」の話はいろいろと聞いた。でもその「エコ」をテコにして「空間的な再配置」が広く議論されたことってあっただろうか? もし無かったとしたら、それは多分「言葉」が見つからなかったからだろう。「一棟単位の話」は対話から遠いし、「そういう風の話」は表現から遠い。こんなふうに。

オーナーにとって太陽光発電システムの設備を付加することは、イニシャルコストの増加につながるが、高付加価値と周辺の賃貸物件との競争力の高さをアピールして人気を上げる事で、空室率を減らし、経営の安定に貢献させることができる。さらに、住宅エコポイントの適用基準を満たせば、1戸当たり30万円分のポイントが付与され、1棟4戸なら120万円、1棟8戸なら240万円の建築コストを減らすことも可能だ。

そして、入居者にもメリットがある。太陽光発電システムを活用することにより、生活時のCO2排出量を削減できるとともに、同システムで発電した電力を享受でき、さらに余剰電力を“売電”することによりエコロジーでエコノミーな暮らしを可能にするのだ。(参照


リサーチが先に立って、個別の創意性を引き出して行く。そういう場の形成は理想論でしか無いんだろうか。それ自体は「建築」ではないかもしれないけど、それが建築を生み出す可能性は充分にあると思うのだけど。その「場」を整備して、そこで語られる「言葉」を規定して、その「表現」を担当する、そういう役回りってあったほうがいいんじゃないか、と思うのだ。