The C-LAB case file on Broadcasting Architectureその1


ジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)フェリシティ・D・スコット(Felicity D. Scott)、ナダール・ナントカ(Nadar Vossoughia)による「ブロードキャスティング・アーキテクチャー・C-LAB・ケースファイル


マイケル・クーボ氏は「出版の実践」の最後で「次のカノン的書籍は何か? という調査からは何も生まれない。」と述べている。これは「カノン」という考え方自体がこの先どう変わっていくんだろう、という問いかけだと思う、のだが、ここでひとつ「カノン」からちょっと離れてみよう。「書籍」に限らない「建築を伝えること」一般へと話をうつしてみよう。ということで、C-LAB、すなわち「コロンビア・ラボラトリー・フォー・アーキテクチュラル・ブロードキャスティング」の話。


まず第三分の一部では、書籍はこの先も建築的知識を伝えるための唯一の媒体であり続けるのだろうか? という問いからはじまり、マスへの伝達「ブロードキャスト」とニッチへの伝達「ナローキャスト」との関係性に対する刺激的な仮説を立てている。

アウトプットの激化、これはとりわけ学術機関に起こっていることである。建築スクールはかつてよりずっと多くのタイトルを活字にしているのだ。出版や展開への支援によって、そうでなければ日の目を見なかったっだろう幅の広い学術的で実験的な資料が市場に出回るようになった。1990年代後半には量の点で最高点をたたき出す。建築の出版全体やアメリカの学校がお金を出し、出版件数は新記録を打ち出し、それが結果ピークとなった(「Avery Index」や「American Publishing System」を見よ)。いまだ上がり続けている唯一のものはその請求額くらいだ。リサーチライブラリ組織(the Association of Research Libraries)、アメリカ大学組織(the Association of American Universities)、そしてピュー高等教育ラウンドテーブル(the Pew Higher Education Roundtable)によって援助された研究によれば、この十年間に出版された学術誌一般の値は、US消費者物価指数の三倍の率、そして医療費増加率の二倍の率で増加している。言い換えれば、私たちは高騰した価格でかなりの量の印刷物を供給しているということだ。私たちが現在経験している冷却期間は小休止を与えてくれる。だから考えよう。出版は知識を一般に入手可能にするための媒体として使われ続けるべきだろうか? 出版が滅びることはないだろう。でもそれは私たちが知識を伝えるほぼ唯一の手段なのだろうか? 建築スクールにとって出版は意義深いコミュニケーションと同じことになり得るのだろうか?


慣習的な知はこう言うだろう。メインストリームのブロードキャスト内容にはうんざりだ、と。価値ある視聴者へと届けるために、その「産業」は「電波」を狭め、それを望む人口統計学上のニッチな関心に焦点を絞ったパッケージングのカスタマイズをする。ナローキャスティング(特定の人たちへの伝達)は建築という領域が得意とすることだ。でも、私たちは「自らのアイデア・マーケットを浸透させているのだ」ということを、自身のコアリーダーたちへとうまく伝えられるのだろうか? メインストリームとなっているメディア社会を一瞥してみると、こうしたことが示唆される。私たちが自身のニッチを過剰在庫させる一方、自由市場では建築が安売りされている、と。


2へつづく