Publishing Practices by Michael Kubo その3

2から続く


最後の部。分野に存在する者にとっての欲望の的となるカノン性と、その分野との関係性を考えるにあたり、一度建築をdiciplineではなくfieldとして考えてみたらどうだろう、という提案が来る。ここでいう「field」というのは、建築にまつわる言説、生産、教育、そして広告、といった建築に関与する様々な現場をひっくるめた広がりとしてとらえられるだろう。こうした「field」においてカノン的なるものは「共通の知識、あるいは特定の瞬間にその現場の枠内で取引される共通通貨」となる。このときカノン性はある価値や質ではなくって、機能としてとらえることができる。


「建築の実践」リサーチはこうした前提においてなされている。具体的に提示されるリサーチ結果として、例えば「カノン的なるものは、どこかで受容のピークがあるわけじゃなく、常にどの世代にも注目される」といったことが語られる。じゃあ、とクーボ氏は問題を提示する。『S,M,L,XL』はカノン的なる著作最後の一冊なのだろうか? こうした問いを突きつけられたとき、人は「次のカノン的著作は一体なんだろう?」と思い込むかもしれない。でもこの問題の立て方がもたらすだろうことを、最後、問いに開く形で締めている。

これは極端で、時代遅れの断言に聞こえるかもしれないにせよ、カノン性という考えは、事後的に作品に割り当てられた単に恣意的な称号であるどころか、少なくとも前世紀の間の建築書の生産を条件付けてきた。分野という考えが有効性を持とうが持つまいが、あるいはどんなメディア形態が、一時的な/永続的な建築の実践において/の周りで生み出され/循環するにせよ、書籍の機敏性や持続性は、この―書籍の、かつ、自らの―カノン性を打ち立てようと試みる建築家にとって特別なフォーマットになるわけだ。時代遅れな考えどころの話じゃない。この問題は今日最も新しく最も小回りがきくとされる形のメディア、例えばブログだとかウェブサイトだとかを考えるときにも再び現れるものだろう。書籍という特権的な形態を採用することによって、いまだ、自身がカノン性を持つこと―建築的言説のカノン的なあり方に関与し、自身もカノンとなること―に対して意欲的なのだ。


分野について―それが含むあらゆる境界線や排除とともに―語るのではなく、もし建築を「現場」として語るならば、そしてその実践形態のひとつであり、働きとしては建物の生産に勝るとも劣らないものとしての出版について語るならば、どうだろうか? この現場において、出版も建てることという実践も、等しく建築における働きの推論的なモードの可能性を生み出すのに必要なものだと見られるだろう。(もしいまだこの言葉を使うとすれば)カノン化した書籍はそのとき、実践の他の推論的なモードに比して、その推論的操作がグラフィックオブジェクト―フォーマット、レイアウト、イメージ、そして単語、その注意深く慎重な構成ーとしての書籍の全体性に最も明快に現れるだろう。このように規定されたカノン化した作品のリストは、最も効果的に機能している仕事のリストとなるだろう。その一部分が特定の時代における建築という現場―言説、生産、教育、そして宣伝―を通してとらえられるとき、諸作品は共通の知識、あるいは特定の瞬間にその現場の枠内で取引される共通通貨、つまりそうした文脈で定期的に見つけられるべきもの、とされるであろう。カノン化したものというこの定義は故に、質や価値の割当てというよりは、作品の有益さが持つ実践的な機能なのである。


こうした影響の問題へと至るには、この領域の枠内でなされきた建築書の受容と影響とを学ぶ必要がある。大抵そのアジェンダや意図された役割とはまったく異なったものとなる。有効な実践としての(そして実践する者にとっての戦略的役割として)出版を学ぶことと平行して、「出版の実践」の後半部では、150を超える実践者、教育者、そして学生を巻き込み、その出版の時期から現在に至るまで、建築の訓練を受けている者への出版のインパクトを測定する。そこでなされた調査への反応やデータグラフィックは、建築における書籍の有益性やその働きに関する問いへと至る。一方で、調査に参加した者が最も多く挙げた書籍―『S, M, L, XL』や『錯乱のニューヨーク』や『建築の多様性と対立性』や『ラスヴェガス』そして『建築をめざして』(既に選択された10のケーススタディのなかの5つ)―は、こうした作品の影響を支持している。他方で、このリスト化は異なった年齢、場所、そして教育時期や回答者の現在的に行っている実践へと、1970年代から現在にいたるまで、貫かれている。驚くべきことに、こうした書籍がその出版時期あたりで影響のピークにあった、あるいは特定の時期にそうであった、という例はない。実際、最近の学生のリストにも一貫して認められており、そうした出版物が現在にいたるまで持続的に影響を与えていることをこのことは示している。たとえ建築や書籍の生産や流通にラディカルな変化があったにせよ、その他の出現があったにせよ、書籍はデジタル時代におけるメディア形態に匹敵するのだ。


この年代記最後の部分で、「『S, M, L, XL』はカノン的書籍の最後であり、決定的な一冊なのか?」という問題をこの調査は浮き彫りにした。生産の新たなモード、建築家の向上する文化的地位、そして建築的出版の実践に対するグローバリゼーションの最初のインパクトと、増えつつある理論の影響とが合流する瞬間に起こるドラマティックな現れを伴い―しかしますます分裂する異なったオーディエンス、建築的出版の過度の延命、そして1990年代以降書籍という伝統的な役割を変化させるだろうデジタルメディアの台頭としての歴史/理論の統合や実践の前ではあるが―その成功は単純に再現不可能だし、歴史的に繰り返し得ない状況を生み出したのだ。「次のカノン的書籍は何か?」という調査からは何も生まれない。「もう一度カノン的なものはあり得るのか?」、あるいはとりわけ「カノン的というアイデアや出版の役割がその間に決定的な変化を被るのか?」はいまだ残る問題である。



Graphic Design―Timeline: over,under / Chris Grimley


調査に参加してくれた人に、自身の向上に影響を与えた建築にまつわる書籍を5つ挙げてくださいとお願いした。タイムラインは回答者(のべ330以上のタイトルが挙げられた)が挙げてくれた全ての書籍をカバーしている。上に「積まれた」書籍は挙げられた回数を示す。色分けはジャンルを示していたり、それぞれの書籍のオーディエンスを意図している―青は建築書、ピンクは人文系、紫はフィクション、そして緑は教本や技術書だ。



Graphic Design―Book Survey: over,under / Chris Grimley, Kyle Jonasen


円チャートは今日建築書の役割や価値に関する基礎的な質問への答えを示している。とりわけ調査によって最も有名だとされたコールハース『S, M, L, XL』と『錯乱のニューヨーク』について。

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  • Credits
    • Exhibition: pinkcomma gallery (Chris Grimley and Mark Pasnik), September 2009