The C-LAB case file on Broadcasting Architectureその2

1より


さて、本題へ。ここで言う「Broadcasting」というのは、テレビ放送のことだけではなく、ファッション写真の背景になってある雰囲気を作り出したり、お金に印刷されて紙幣価値を支えていたり、PVの舞台になって人の目に入っていたりと、かなり広い意味で「建築が不特定多数の人に伝わること」を指していると思われる。この「不特定多数性」に対して、よりターゲットを絞った伝達のことを「Narrowcasting」(前回出てきた)と言っている。「ビルバオ効果」を土地ベースじゃなくて人ベースで、つまり「ゲーリー効果」として考えなおそうとするようなこの話の延長上には、「ブロードキャスト」と建築家の有名性との関係性を巡る話があるだろう。前回のクーボ論考「出版の実践」での問題提起はこうした文脈においてとらえられる必要がありそうだ。


ただ一方で、日本でこうした議論がどれくらいの現実味とともに受け入れられるのかはちょっと考えるべきことかもしれない。分かりやすい形態を持った「アイコン建築」なるものがコンセプトとしてしか存在していないなかで、「その流通にどう介入するのか」という問題意識にはまだ幾分かの距離がありそうな気がする。「その問題意識には」という話だけど。

遠く広い、建築のイメージが伝達されている。たとえ印刷物という媒体においてでも、建築は公共領域を巡り巡っている。それは他の建築出版に携わる権力者が想定してきた、あるいは少なくとも印刷物であえて言及してきたよりも一層確かなことである。新たな建築のあり方(ロゴ、アート写真、宣伝用写真、サウンドバイト、背景などなど)はどこにでも現れている。広告、新聞、有名誌、切手、こうしたもの全てが素材や意味への使用形態をつくる。建築さえ著しく金に現れる。例えば、ユーロはその価値(「Selling Money」を見よ)を具体化するために建築のイメージを使う、最も回りまわっている印刷物のひとつだ。そして他のメディアでも建築がますます現れるようになり、それが公営ラジオからMTVへの放送波に乗り、デジタル環境を通り抜ける。そのとき、私たちはどんな方法で伝達、レトリカル・マネジメント、あるいはライセンスやその使用に関与するのだろうか? このことについてフランク・ゲーリーの建築を例にとってみよう。こうした観点から彼の仕事を見ることで、「ビルバオ効果」みたいな言葉が再びつくられることを正当化することになるかもしれない。彼の作品が持つ分かりやすいイメージへと言及する何か。これは「ビルバオ」よりも、どちらかというと単に「ゲーリー効果」と言ったほうがいいかもしれない。「ゲーリー効果」はそれを確立しようとする都市に益をもたらす。ゲーリーの建物であれ、そのデザインをささっと描いたファックスであれ、そのイメージを使うことで、送り手―その人が権威であっても、そうでなくても―が受け取る利益に目を向けよう。彼の建物はしばしば広告やPVにも―建築家にお金は支払われないが―現れている。ゲーリーの作品はきわめて広く認識され、高く評価され、自由にブロードキャストされている。がために、ストリートのこの上ない尊敬を得る。「戻ってきたゲーリー」だ。彼のプロジェクトはリミックスされ、その外観は真似され、インテリアにサンプリングされ、縮小増大され、背景価値という目的のため新たなグニャグニャ形態へ構成される(「The Two Franks」を見よ)。建築がブロードキャストされるとき、私たちはどのようにブロードキャスト建築へと影響を与え、インスピレーションを与え、そしてそれをプログラムするのだろうか?


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