The C-LAB case file on Broadcasting Architectureその4

その3より


ラスト。メッセージとしては「ブロードキャストという観点から新たなアジェンダを設定してみよう」というささやかなものになっている。でもここでポイントとなるのはブロードキャスティングがもたらす「パブリックなコミュニケーション」を問題としていることだろう。ブロードキャストという「建築が不可避的に多くの人に伝わること」を背景にして、伝える/わる対象を絞ろうとする「ナローキャスト」を通じたコミュニケーション。そのテクニカルなレベルを問うていこう、というのがここで語られていることである(だと思う)。詳しくはvolume3号を参照のこと。


日本でこうした議論はなかなか難しいんじゃないか、ということを以前すこし書いた。でも建築雑誌を、ウェブサイトを、開いてみればどれも「キメ顔」的竣工写真が並んでいるところを見ると、この問題はあながち無関係とも言えないかもしれない。もちろんその状況には批判もある。でもそこで「じゃあ何が問題になっているのか」をテクニカルなレベルで超えて行こうとする試みはあまりないんじゃないだろうか。建てて、撮って、公開して、使って、リノベーションして、撮って、公開して、という既存の「建築流通」のあり方を問いなおすような試みの一助に、こうした論考は、なるかもしれないなと思った。

と同時に、この特集やC-LABの項目は、印刷のみならず、「ナローキャスト」を通じてコミュニケーションするための新たな手法を提示する。1990年代、彼らが出版にお金を出していたように、学術機関がブロードキャストの起こりとその展開を支援することで、学問的で実験的な資料は幅広いオーディエンスへと流通し得るのだ。この意味で、ブロードキャストというのは、現在の教育機関で行われている活動を他のパブリックコミュニケーション形態へと拡張することであり、建築的実践の活動を再定義する実験でもある。コミュニケ―ションの新たな媒体を実験することで、アカデミーは新たなアジェンダを、その領域のための新たなプロジェクトを、発展し定義しうる。言い換えれば、新たな媒体を探究することで、私たちが選んだメッセージにインスピレーションが与えられる。こうした点を勘案し、C-LABはロゴ、アート写真、宣伝用写真等などを超えたデザインを、そしてオルタナティヴなイメージ、構造、シークエンス、そしてプログラムを生み出すための新たな技術を、発展させるのである。