On the Moon by Arjen Oostermanその2


Volume#25 Getting there, Being here
その1より



NASAの創設から50年が経ち、私たちのゴールはもはや到達すべき目的地のことだけではなくなった。私たちのゴールは、地球を超え、より長い時間、究極的にはよりサステイナブルかつ制限のない方法で、働き、学び、活動し、安全に住むことである。」(バラク・オバマ大統領 2010年4月15日)


50年前、建築にはミッションがあった。あまねく人に適切な住居を与えること、そして人々が働き、学び、活動し、安全に暮らせる、充分に機能的で健康な都市を生み出すこと。建築家も50年前には信念を持っていた。そのゴールは使用可能な技術を最大限利用することで到達されるべきだった。建築は技術であり、新旧の問題やなすべきことがらに対する技術的に進歩した解決策に関するものである、と信じているモダニストはいる。たとえ技術的未来をさほど信用しておらず、持続性や伝統や永遠の価値といったものにより傾倒する者でさえ、産業化された社会というリアリティは受け入れる。信じるものはさらに先を行く。彼らは遠/近未来に実行可能なものは何かを思い描いていくわけだ。それをユートピアと呼ぶか夢と呼ぶかというのはあるにせよ、それが実現するようひたすらに頑張った。その間に彼らが受け入れた最新技術が、例えば宇宙産業用のものだった。


こういう議論もあるかも。「敵わないんなら、まざれ」という大義のもとに、建築家は産業社会を吸収した。彼らはそこで生き抜き、適当なポジションを主張するための技術を得た。そうすることで、彼らは自らが美学的形態に力を表象する以上のことをなし得るはずだった。社会を形作る、ということだ。20世紀の建築はこの(部分的には自らに課した)役割と向き合う自らの能力が、右肩上がりで増えている様を見せた。効果的に社会を形作るのに何が必要かを把握する、という能力。この考えは、かつて、例えば30年から50年前そうであったほどの人気はない。建築や都市デザインは過程をガイドし、障害を取り除き、ツールを提供するという方向性に動いていった。ガイドすること、というのはとても重要なことであり、壮大で力強いデザインアプローチである。私たちはすでにひとつの特集をそのために組んでいる(訳註:Volume#22)。というわけでそれはそれでいいわけだけれども、この適切でありかつ技術を要するつつましさではどうにもならない課題もある。異なった状況に実践する建築は、それ自体の限度や強度についてでよく知っているべきだ。極度の役割でもってそれに向き合うことは、これらをテストし、理解するための方法である。そして月は得られるもののなかでも極限のものである。


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