Volume#27 Fight and Accept 前編


Volume第27号は「エイジング」特集。ぱっと聞くと「保存問題」とか「古びの美学」とかいったトピックが思い当たるが、この序文の旨はさにあらず。さっくり言うと僕らが生きる社会にある解かれるべき諸問題のひとつの根っことして「老化」があるんじゃないの、というメッセージとして読める。前世紀から比べて約2倍になった平均寿命、高齢人口の未曾有の増加はこれまでの社会モデルを大きく変化させる。


で、「老いに対してどうするか」に対して、これまでは「機能していない身体パーツをサイボーグと取り替えよう」になっていた。でもいまはちょっと変わってきている。こんなふうに。

  • 組織を成長させ、完璧な器官を完成させる
  • 遺伝子レベルで細胞における老化のメカニズムをストップさせてしまう
  • 機能の劣化や欠陥を生み出す細胞レベルへの攻撃を止める


「取り替え」がいわば「老化したあとどうするか」を焦点化していたのに対して、下三つの発展は「現象としての老化」の廃絶に焦点を当てている。そしてこうくる「農業革命、産業革命の後には、老化という約束に立ち向かうことが、なされつつある次なる革命となるだろう。」このトピックがややこしいのは、個別的身体の老化と社会的空間的なそれとが絡まりながら論じられるというところにある。だから、この発展がつまり具体的な広がりにおいてどういうことになるのか、ということを考える必要がある。ということでそれは後編。

闘争と受容
エージェン・オースターマン


2007年、金融恐慌が世界を激烈に襲ったとき、どこでも見られた反応は混じりっけなしの驚きだった。数十億、数兆ドルがこんなスピードで消えていくのかと思うと興味すら覚えるほどだ。二度と元には戻らない、と専門家は警告していたけれど、一般的な予測は、そのうち正常に回復するだろう、というものだった。私たちが生きるスペクタクル社会において、私たちは急な社会変化の昂奮に慣れている。私たちはこうしたイベントに対して、マジックを見ているかのように反応する。最初、マジシャンはあなたが見ているすべてがありふれたものであり日常のものであって、タネも仕掛けもないことを見せる。それから、彼はオーディエンスに想像もつかないことでもってびっくりさせる、そして聴衆がいまだその昂奮と戦っているとき、そして深く不安を感じているとき、正常な秩序をとりもどす ―見て、何も変わってないよ、と。これは私たちが好むリアリティの理解だ。よいショー。ということで、ビジネスの話に戻ろう。


私たち自身の状況を理解するにおいて有効な他のリアリティモデルがある。管理的モデルだ。地域的な人口減少、海水面の上昇のような具合に、問題は浮かび上がる ―そういう種類のものごとは、ということだけど。それは伝えられるべきであり、解決されるべきでもある。だれかがそれをしないといけない、でもそれは私の関心事ではない。政府か自治体はこの責任をとらないんだろうか? 私は税金を払っているわけだし。しかもどうあったってそれは私の手の届く範囲の話じゃない。


それぞれの方法で、どちらのモデルもよき安定した世界をつくっている。少なくとも個人的なレベルにおいては。それらはものごとを動かし続けるブルジョワ信念システムの二つの基礎だ。明日は今日よりさほど変わらないだろう。命には関わらない病気のように、(たとえ致命的な病気であっても)混乱は自然になくなり、対処されるのだ。


でも老化に関してはどうだろう? 生きることにまつわる要素のひとつとして、それはつねに生の部分なのだ。それを否定することは無意味だし、それから逃げることができないこともまた確か。ただ、社会スケールに関して言えば、大きな変化は老いの観点から起こっている。先の世紀における人類の平均寿命に対していまではそれが二倍になったわけで、この世紀は他の大きな増加を見ることになるだろう。人口全体に比した65歳以上の人口の劇的な増加とあわせ、そのことが私たちにとって慣れ親しんだ社会モデルを脅かすように、私たち自身の見込みやそのときの義務にチャレンジする。じゃあそのときマジシャンはどこにいて、マネージャーはどこにいるんだろう?


マジシャンは目の前にいる。今やドクターだとか生物医学研究員だとか呼ばれている。そのトリック「あなたは若い―若くない(こわい!)―やっぱり若い」は主としてひとつのうわべだが、身体に対する基礎的な干渉がおぼろげに見えている。機械的な方法(メカニックとしてのドクターと、機械としての身体)によって機能していない身体のパーツを取り替えるかわりに、他のアプローチがテストされている。組織を成長させ、最終器官を完成させること、はそのひとつの方法である。また別に、遺伝子レベルで細胞における老化のメカニズムをストップさせてしまうとか。三つ目としては、この十年間のうちに、この約束の結末は細胞レベルへの予防的な衝撃に焦点を当てる。私たちの生化学的な身体におけるランダムな攻撃は、ゆくゆく機能の劣化や欠陥を生み出す。こうした攻撃を止めることによって、身体は老齢になっても適切に動き続け得る。基本的に、こうした発展は現象としての老化の廃絶に焦点を当てている。農業革命、産業革命の後には、老化という約束に立ち向かうことが、なされつつある次なる革命となるだろう。


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