ジェフリー・イナバ「Volume序文」その3

2から続きます。これでラスト。

たとえコンテンツ・マネジメントという語がみごとなまでに当てにならないものであれ、その官僚的な含意は完全にセックスアピールを欠いている。あたかもそれが素材をつくりだしているのではなく、管理運営しているかのように。ただ管理することを主とするサイトは確かに存在しはする一方で、軽い編集や再宣伝を通してそれらはコンテンツの生産もしているのである。かつて一度でも情報を収集し、公表し、そしてアーカイヴしたサイトは、いま自らのコンテンツを生み出している( 独自のレポートを始めたニュース・アグリゲーション・サイトとか )、しかしより重要なことは、ひっぱってきた情報を再びパッケージすることによって、コンテンツは次のような手法を使用していたときよりもずっと大きなコンテンツへとこしらえられているということである。つまり比較( あるものの有効性を証明したり反証したりするために二つの情報を併置する )や反復( 数の優位が事実に近づく程度まで類似した話を挙げる )、目録( 支配的な見方や社会的なパタンを確立するために諸意見を対照する )、リ・ラベリング( 話の強調点に変化をつけるために見出しを付け替える )、そして削減( 話の選択的編集 )などを使用していたときよりも。

これらレバレッジされた諸種のコンテンツの生産は、二つの関連した実践で予期せぬ利点をもたらしている。コメントとうわさだ。事実への容易な近づきやすさは、よく練られたコメントへとそれらを形づけるコンテンツ生産者の能力を奨励する。と同時に、疑わしい情報を取り上げられる能力、そしてそれをもっともらしい、うまく組み立てられた話にもできる能力に対するプレミアもある。スマートなコメントもうわさも同様に建築の生産にとって本質的なものであり、そして希少性の世界への退却が蔓延したことによって定義される時期へとわたしたちが入っていくにつれ、配分、保存、そして臨機応変さに関する新たな語りへの需要が生まれるだろう。

結論である第二パラグラフを整理

  • 建築:「環境空間や流通ルートを設計するテクノロジーを使いながら、情報やモノをコントロール可能な環境へとアレンジしていく」こと
    • スマートなコメント:ファクツをよく練られた(きちんと筋が通された)話にすること
    • うわさ:疑わしい情報を取り上げ、それらをもっともらしく組み立てられた話にすること

建築とは体験の構成物a structure of experiencesであって、膨大な量の内容物との相互作用を必然的に伴うということを「その2」の第一パラグラフで見た。コンテンツの管理が不可避的に招くコンテンツの生産によって実現した「長所」、つまりその膨大なコンテンツからいくつかをピックアップしよく練られた話をこしらえる能力(コメントとうわさ)に、建築の生産にとっての本質的ななにかがある。いわば体験のストーリーをこしらえる能力が求められている。配分distribution、保存preservation、臨機応変さresourcefullnessに関する新たな語り、とはまさにこのストーリーをこしらえるための手法やスタンスのことを指しているのではないかと読める。