Volume第2号序文―前半

Volume第2号の序文「Doing Nothing is Almost All Right」の訳前半。著者はヴォリューム編集長のOle Boumanさん。タイトルの「○○ is almost all right」はおそらくヴェンチューリラスヴェガス」の一小見出しからのインスパイヤだと思われます。どれだったか忘れましたが。

何もしないってのはそれほど悪いことじゃない

オレ・ボウマン

成功はポートフォリオの充実にかかっている。プロジェクトの規模、名声のあるクライアント、有名性の氾濫、そしてナルシスティックで、とりつかれたような、そして芝居じみた、とどまるところを知らないパーソナリティーにかかっていることも忘れてはいけない。抑制のない野心は有名建築事務所や有名建築学校の証明であり、そこでは「家に帰ること」がギブアップに等しい。クライアントのプログラムに従った要求を満たすだけの骨折り仕事から逃れたいと願うものにとって、机の下で寝るなどということはよくあることである。完全に正常だ。もしあなたが思考する創造的な建築家になりたいのならば、あなたが何かをなし得るだけではダメで、それをなさねばならない。仕事、仕事、仕事。それをモットーに。

しかし建築はこの量的な意味においてのみマキシマリスティックだというわけではなく、マキシマリスティックなデザインに対する強い好みも持っている――多くというよりも、強度に。おそらく世界で最も議論されている二つのモニュメントを建築するプロジェクトとして、ダニエル・リベスキンドの「グラウンド・ゼロ」計画、そしてピーター・アイゼンマンの「ベルリン・ホロコースト・モニュメント」計画が挙げられる。これらのどちらもがトラウマ的な不在を物理的にも道徳的にも満たすことを中心的な題目としている。そしてこれらのどちらもが悪に犯された場所にある建物を含み、どちらの場合においてもその解はマキシマリズムな規模の表現となっている。世界で最も大きいモニュメントだったり、最も高い塔だったりという具合に。そしてこれらとは正反対の意図による提案も存在した。それらはささやかで微妙なサジェストであり、その空っぽさを無効にするというよりはむしろそれを記すことが目指されていた。これらのデザインは知られていないも同然であって、建築家の間でさえそうなのだ。もちろんそれらが建つ見込みはない。

第一センテンスはそうだよな、というかんじ。というかむしろちょっと(苦)笑ってしまった。ちなみに第二センテンスでのトピックは建築家のマキシマリスティックなジェスチャーについて。「これらとは正反対の意図による提案」というのは、リベスキンドの「世界で最も高い塔」に対して安藤忠雄がその跡地を「そのままにしておく」ことを提案したことが思い起こされる。