Volume#5 Power FAQ訳 前半

28日のREADTANKで担当したVolume5号「The Architecture of Power」の序文的な役割を果たす(と考える)「Power FAQ」の訳をアップ。結構いい長さなので前後半に分けます。

Volume#5 Power FAQ


なぜヴォリューム5巻はイメージの分野を取り扱うのでしょうか?

権力は常にイメージに巻き込まれ、それらなしでは考えることさえできないが、権力なるものはそれらイメージのどこにも見られない。決してだ。権力は特定の行動というよりもむしろ行為への潜在力であるため、権力それ自体は不可視なのだ。このつかみどころのない性格はその力の源である。権力を学ぶためには異なった見方が必要だ―より微妙な兆しをさがし、より広いイメージ領野のモザイクを精査するという具合に。もっとも強大な力は表面上些細な効果を通して稼動するのである。

なぜ初老の男性のイメージが多く登場するのですか?

この号は権力の初期設定に注目する。挑まれ得る、挑まれねばならない、そして挑まれている設定に。

なにがこれらのイメージを結びつけているのでしょうか?

不安だ。力強い者の表情やボディランゲージは何も明らかにしない。権力を仮定するためには、それを引き立たせなければならないのだ―イス、髪型、スーツ、銀、セット、スローガン、印章、系譜使って―あるいはそれら全てを使って。この号は権力への標準的なアクセサリーカタログである。それぞれは特定の不安を取り扱おうとしている。すべての権力の象徴は不安の象徴に等しい。

建物に何が起きたのでしょうか?

権力と建築、という問は大抵権威をモニュメント化するような建物と都市計画と関わっている。事実、建築は伝統的に力を可視化する最上の方法とされている。しかしそれは大抵ヴェールとしてはたらくのだ。建築の権力を考え始めるために、建物と都市はしばらくの間写真の切り抜きとならねばならない。一見たいしたことのないディテールへとクローズアップすることによって、権力の力学へと新たな種の感覚が生まれるだろうし、ヴォリューム7巻と来るべきヴォリューム・イベントにおいてさらに視野を広げる前に、ヴォリューム6巻において建物群を新たな観点から見ることができるのだ。

ヴォリュームが権力について取り上げるのは5、6、7号が最後になりますか?

ノー。わたしたちはまたこの問いに返ってくるだろう。何度も何度も。今のところの狙いは、力の建築的学習が執拗に追求しなければならない方向感覚を与えるために、平凡でたいていは西洋的な諸例の1セットを精査することである。

2番目の質問で出てくる「初老の男性」というのは「greying men」の訳。実際に本を見てみないとよく分からないのだけど、多分そういう偉そうな感じの人の写真がいっぱい出てくるのだろうな。ひげとか生やして、椅子に座ったりとかした人の写真が。それから最後の質問は、5、6、7号が三巻連続で「Power」をテーマにしているという前提がないとちょっと意味が取りづらいかも。
とりあえず5号では「Powerはどのような形で、どこに現れるのだろうか」ということが「Power」という大テーマのさらに下に位置している(小テーマ)と推測される。ちょっとここ変じゃないか?等々ご意見ございましたら、ぜひコメントください。