リサーチ・フォー・リサーチ#1


ここから数回にわけて、バート・ローツマというオランダの建築批評家が書いたとされる『Research for Research』なる本の序文の日本語化を試みる。翻訳とは言えない代物なので、ちょっとでも気になったら本文をあたっていただきたい。なお、この本自体は目下探索中。その調べもののいきさつも書きたいのだが、長くなるのでまた別の機会に。八束さんがリファしていたのでこの本はある、と信じているのだが、もしかしたら、ない、のかもしれない。情報お持ちの方ご連絡お待ちします。


本文はこちらを参照のこと。
ARCHITECTURALTHEORY.EU:Bart Lootsma: Research for Research Introduction

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イントロダクション
バート・ローツマ


ここ数十年の間、リサーチは建築や都市に関する議論のなかでひとつのキーポイントになっている。ステファノ・ボエリとマルチプリシティ、レム・コールハースとOMA/AMO、ラオル・バンショーテンとCHORA、ヴィニー・マースとMVRDVのような建築家と建築事務所。ハーバード、ベルラーへ・インスティチュート、バウハウスやETHスタジオバーゼルのような研究機関。そしてボルドーアルク・アン・レーヴやミラノトリエンナーレのような美術館やギャラリー。それからシティーズ・オン・ザ・ムーヴのような移動展覧会。これらは野心的なプロジェクトを立ち上げ、都市環境での最近の変化を理解しようとしている。こうした試みの重要度を強調しようと、書籍は月ごとに分厚くなってきた。のみならず、サイズまで大きくなっている。たとえリサーチを行う建築家によってなされるプロジェクトがリサーチという観点から眺められることを避けられないにしても、これらすべてのプロジェクトはプロジェクトそのものに、というよりも、広く社会的、経済的、文化的な建築や都市デザインの文脈に焦点を当てている。これは、マンフレッド・タフーリの言葉を借りれば、「私室」に引きこもる建築が言語的なゲームに焦点を当てていたり、長い系譜学的伝統を示すことによって「分野」の自立性を強調しようとしていた時代に比べてかなり変化しているように見える。現在のリサーチは歴史に対してかなり無関心であるように思われる。もし歴史がある役割を演じているのならば、むしろ現在まで巨大な企業の重役会議室でしか見られなかったようなグラフィック的表象に示される抽象的な統計上のデータを定量的に推測するという形でしか現れないだろう。現在のリサーチは「あたらしさ」にしか、分野を揺るがすかに見えるような変化にしか、焦点を当てることはない。


その理由は明確だ。私たちは自らを「第二の近代性」のただ中に認めている。「第二の近代性」はコミュニケーションや移動性のグローバルネットワークによって規定されている。国境はぼやけ、都市は広大な都市ランドスケープの中で混ざり合い、新たなポストフォーディスト的生産方法が工業生産にとって変わっている。少なくとも西洋世界では、資本主義は世界をまわすシステムとなっており、サービスと経験の経済は増加するファクターとなり、私たちは移住や個性化という驚くべきプロセスを見ている。第一第三世界は互いを互いに組み込み、私たちは新たな集合的リスクを恐れている。環境的リスクと新たな交戦がそれだ。


もちろんこれらの変化は建築や都市計画に多くの影響を与えた。それはちょうど最初の近代性が多くの変化をもたらしたように。20世紀の初頭に起こり生まれた産業化、鉄道、自動車、大都市の密集、戦争、災害、大衆の台頭などなどは、新たな諸問題、新たなタイポロジーや新たなスケールをもたらした。大きな産業的複合性、鉄道路線や駅、高速道路、住宅街区などなどはその時期に発展した新たなタイポロジーであった。第二次世界大戦後には、とりわけ高速道路、ショッピングモール、空港の台頭があったし、個性化や都市空洞化のはじまりもあった。


近代化の最初期や第二次世界大戦後期においても、建築家や都市計画家は集約的なリサーチを行っていた。タフーリが「私室の中の建築」で見いだし損ねた、哲学的でもありイデオロギー的でもあるリサーチであり、前者に関しては『言葉と物』のなかで行われた、言語と現実との問題含みの関係性に関するミシェル・フーコーの分析に基づいている。ジャン・フランソワ・リオタールが大きな物語の終焉を主張する少し前のことだ。「私室の中の建築」において、「進歩とユートピア」と同様に、建築は新たなより良い社会をもたらすことができるという考えを破壊し、他方で、そうせんとするすべての試みは結局資本主義に吸収されてしまうのだと主張した。たとえ彼の死を経た後も、タフーリの理論は何度も何度も証明されてきたように思われる。私室に引きこもった建築家でさえクールなマーケットのニッチとなったし、ハリウッドへの参照をもって、自らを今日の「スターアーキテクト」だと誇らしげに表明することによって自らの不安定さを相殺しようとしているようにも見える。