volume#24「YES, BUT」を読んで

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拙い訳にさぞやうんざりされたことかと思う(ごめんなさい)が、カウンターカルチャーをスタート地点にしたこの話は一貫して「what if」から「yes, but」という姿勢への変遷が語られていたのだった。言い換えると、「過去から断絶するモデル」への否定が語られていた。推測するに、建築家は「what if」つまり「もしも都市がこんな形だったらどうだろうか?」と言いながら都市のモデルを提示してきた。60年代の話だ。建築家による「もしもシリーズ」的都市計画群は過去からの断絶によっている。「実際にはそうじゃないけど、もしもそうだったらよくない?」という構造には、過去からの、そしてその価値を共有しない人たちからの、断絶の色がある。


先のドラッグ論「Neuropolitics」で出てきた「大地へ帰れ運動」も「もしもシリーズ」のひとつだったかもしれない。「(今はみんな都市に住んでるけど、でも)もしもみんなが大地に帰ったらどうだろうか?」。理念あり、現実への否定あり、そしてこの価値に気づかないものへの拒絶がある。この文章「ニューロポリティックス」ではそんな共同体のオルタナティヴとして「ドラッグ」が提示されていた。もちろんクスリ欲しさにマンションへ「集まって」くる、とかそういうことがポイントなんじゃない。それじゃ同じだ。トリップは「外側から押し付けられる規制や支配的な論理」からエスケープする方法として有効性を持っていて、それが多様な人に取られていたということがポイントなのだ。


このドラッグ使用は現在ひとがウェブ空間にコネクトされているという状況と似てるものとして語れるんじゃないかと思う。違うのは、テクノロジーの進化によってその「トリップ先」の見通しがよくなったこと。つまりまさに上で「ウェブ空間」と言ったように「空間」という比喩で語られるようになったことだ。新しい「地理学」というのはそういうことを言っていると思うし、もっと言えば、これは対話のための地盤が整えられたということかもしれない。あなたが見ている風景と僕が見ている風景とは同じものじゃない。でもその違いがわりあい見えるようになった、という具合に。


60年代以降都市の絵が描かれなくなったというのは、「もしも〜」と始めながら希望を語り、その語りに共感して価値を共有するモデルにみんながのれなくなったからなんじゃないかと思う。なぜなら、その「もしも」の前に来る、おのおのが見ている風景という前提がそれぞれ違うことが分かってしまったからだ。ときにここでマースが唱えているのは、その違いからスタートしようということ。異なった風景を受け入れて、受け入れた上で「でもさ」とやる。みんながワレサキニとこぞって大きな絵を描くんじゃなくて、周りにいた人、今いる人、これからいるだろう人たちの声をとにかく膨大に受け入れること。革新を望むより着実な進化を意識しよう、と。そのシステムの第一歩として「Why Factory」が存在するはずだし、ちょっとぶり返すと、この前少し書いたAFHの意見集約(&集金)システムはまさにこの思想に基づいていると思うのだ。