Seeing Like a Society Interview with James C. Scott前半


「Engineering Society」特集のVolume16号(この号の序文「Planning Paradise(楽園を計画する)」の日本語化はこちら)に掲載されているジェームズ・C・スコットへのインタビュー。JCS(James C. Scott)は1936年12月2日生まれのアメリカの政治学者、人類学者。専門は政治経済学、政治社会学、とくに東南アジアの農村社会における叛乱・抵抗についての研究、とのこと。


このインタビューでは「社会設計はなぜ失敗するのか」ということが語られている。言い換えると、ここでの問いというのは、まちづくりであれ都市計画であれ(このあたりはワタシの推測)政策として上から提示される社会の「発展」にまつわる計画はなぜ毎回毎回うまくいかないのか、ということになる。この主題についてスコットさんは『Seeing Like a State』という本をものしている。


以下前口上

(ジェームス・C・)スコットは、ハイ・モダニズム的な人類発展計画について最も深い批評を行う者のひとりである。彼は、社会の認識のしやすさや標準化、と彼が呼ぶものを導く国家建設のプロセスが、啓蒙や自由というよりもコントロールと支配を助長するだろうと踏んでいる。スコットはマレーシアの森林における小村落共同体の研究から自身の学者生活をスタートさせた。彼はその熱帯雨林を去るとき、国民国家がどのように社会を組織するのかに関する重大な観察記録を大量に持ち帰った。彼の記念碑的著作『Seeing like a state(1998)』は、社会発展のための政府による計画がいかにうまくいかないかについて、基本的かつ入念な批評を行うための基礎となった。タンザニアの強制的な村落、プルシアの科学的な森林管理、ハイ・モダニズムなブラジリア、USSRにおける産業農業計画や近代の様々な「ミレニアム開発目標」などなど。スコットによれば、これらはすべて致命的であることが明らかになった合理的なユートピアの青写真である。


で、以下が本文。長いのでとりあえず前半分。

      • -


エリック・ゲーリットセン
社会は設計し得ない、という結論にはどのようにたどりついたのでしょう?


ジェームス・C・スコット
東南アジアをリサーチするなかでその発展計画の決定的な過失と直面しました。うまくいっていた地域コミュニティもがっちりと意図された発展目標の帰結として破壊されたも同然であり、そこでこうした過ちのより深い原因を理解しようと努めました。そして思い到ったことは、社会にとって野心的な計画をなすためには、そして社会を変化させそこに介入するためには、国家はそのときある程度操作され得る社会をつくらなければならない、ということです。つまりアイデンティティを持った市民をつくらなければならないということ。記録され得る名前を持ち、土地測量の記録に合致する住所を持った市民を。どうやら私は、初期近代ヨーロッパにおいて国家をつくるという取り組みには介入可能である前に理解可能な、認識可能な社会をつくることがあった、という事実にとりつかれてしまったようです。そしてこんなことにも気づきました。社会を認識できるものにするプロセスのなかで、社会は社会をラディカルに変化させる、ということに。初期近代国家が統治する社会を変化させる方法は、現在世界銀行が第三国を変化させる方法と近いものがあります。


本の中で私が挙げた例は科学的森林管理に関するものです。これは森林を変形させるひとつの形式であり、森林に関するそれ以外のことがらを無視してしまうことで、成果を生み出しもする。ところが結局それは森林再生という自然なプロセスを侵害するような森林を生み出すことになってしまったわけです。それは絶望的なまでの過ちですが、いままでこれは科学的森林管理の世界基準とはなっていなかった。そのような洞察に私は興味を惹かれ、ブラジリアというカッチリと意図された計画の失敗や、機能していない村落へと700万人が移住させられるタンザニアの強制的村落化へ当てはめて考えてみようと努めました。そしてついに私はソビエト農業の産業化や集団農場化という政策に目をつけました。ハイ・モダニズム計画と私が呼んでいるものの批評をなんとかやり切ったわけです。つまり、科学技術がエリートを育てるという信念に根ざす19世紀的イデオロギーは、社会計画の責任を負っている。どうやって親は子を風呂にいれるべきか。どうやって食や住宅のデザインを準備するべきか。ハイ・モダニストらに言わせれば、自分たちはこうしたことを知っているのだ、と。ハイ・モダニストらのこうした不遜さは、あらゆる社会的問題に対する単一の奇怪な答えを信じさせ、その解決策を民衆に押し付け、こうした構図こそが目的なんだと民衆は納得させられてしまうわけです。


EG
あなたが 1998年に『Seeing Like a State』を出版されて以降、世界は急激に変わったように感じます。標準化を通して「認識可能な」社会をつくることはもはやグローバルなスケールで実行されています。私たちはまた別の、より高いレベルの国家建設を目にしているのでしょうか? 世界国家のようなものを?


JCS
ある意味ではね。世界銀行は第三国の発展プロセスをコントロールしようとし、そうすることによって根本的にこれらの社会を変化させています。これは私たちが初期近代西洋に見たものと近い。WTO世界貿易機関)、IMF国際通貨基金)、そして世界銀行は、北大西洋的な自由資本主義や自由民主主義という制度を世界の他地域にも植え付けようとしています。中央銀行の発展、私的所有権の創造、知的財産権の保護、利益の返還、そして「土地台帳への登録」と私が呼んでいるものや、標準化されていない統計値の過度の強調を見てみると分かるでしょう。彼らはこの発展に対して非常に的確な言葉を使っている。調和、です。


これはすべてプロパガンダの重要な一部です。つまり制度が互いにマッチし、対応しているかということを確認しているということ。私にとって興味深いことはこういうことです。つまり、こうした制度は世紀転換期の北大西洋的資本主義に特有の、ちょっと変わった、その土地固有の制度だということ。それらは現在、巨大な多国籍の制度に押し付けられ、世界基準として第三国へ戻っていきます。そうしたプロジェクトの理屈はこんな具合でしょうか。オランダからのビジネスマンはアサンシオンでもキンサシャでもどちらでも飛行機を降りられる。そして彼はそこに全く勝手知ったる制度や構造の世界を見つける、と。それらがなじみ深いものであるのは、その制度や構造がこのビジネスマンが来た世界から来たものだからです。それは自らをユニバーサルなものとして表しますが、土地固有のものでしかないということを決して忘れてはいけません。そして、それら制度や構造はその固有の歴史の文化的集積のすべてを担っているということも。


こうした傾向はグローバルビレッジへの後戻りできない道を暗示しているかもしれません。まさにこの線に沿って私は本を書きましたが、幸運なことに現実はより複雑でした。例えば、世界銀行の地域発展プログラムは、結局そのスキームが自らの要求にまったく適っていないことに気づいた何千もの地域農業者たちによる反計画によって犯されてしまいました。彼らはそれを解体し、自らの期待に適うようその大きなスキームをねじ曲げてしまった。その条件の困難さに彼らが抵抗できるような方途などなかったにも関わらず、第三国における実際的なプロジェクトが元々のデザインとまるで別もの、ということがしばしばあります。嘆かわしい話ですが、その逸脱のほとんどは、特定の政府が自身の権力を高めようとしたり、それを地方に投影しようとする努力の帰結なのです。


この点に関する他の妥当な発展は、金融資本やコミュニケーションのボリュームとペースの莫大な増加です。これらのテクニックによって、これまで不可能だった微妙なコントロールが可能となりました。でもそれは集合的な過ちを瞬間的に蔓延させもします。アメリカのサブプライムモルトゲージ危機がどれほど早く世界中に無限分岐したのかを私たちは目撃したところです。制御不能になった物事のスピードやボリュームは、それが新たな形のコントロール主体となるその速さと同等であるように思います。


後半はこちら