1960年代を再訪する2


1960年代を再訪する/Revisiting the 1960s―Lara Schrijver『Radical Games』序文の続き。3分の2。1はこちら

ときに、建築的介入の負っていた責任が過剰だったのかというと、そういうわけでもなさそうだ。論争を呼んだ「建築か、さまなくば革命か」というコルビュジエの宣言がなされた初期の頃から、建築家はその選ばれた専門性の枠内でうまくパフォーマンスすることを問われていたのみならず、建物を注意深く明確に表現することを通して社会的な発展を先取りしたりその引き金になったりと、その感性が洞察力に溢れているか否かをも問われていたわけだ。じゃあその後ろにある誇大したうぬぼれの感覚を突き動かしたものは何だろう? 建築が社会を変える必要性を暗に示すことで建築の拡張をよきものとする自己正当化の感覚? あるいはむしろ建築家によって示された、構築環境によって世界を変えたいという欲望からくる期待か? 建物の居住者や彼らによる使用はデザイナーの意図とぴったり一致しないなどと仮定しておきながら、ある程度のヒューマニティを実現しようなんてあんまり賢いことだとはいえないと思うのだが?


こうした問題に対する部分的な答えは、私たちが思いを巡らす世界と私たちが生み出すリアリティとの間の区分を保つ、ということにある。ただ、「フォトショッピング」によってすぐさま完成されたイメージへと手を加えてしまうこと、そしてそれが自然な成り行きのように見えてしまうメディアの飽和時代にそれはだんだん困難なことになっている。私たちはスペクタクルの状況を否定できないが、デザイナーの視野にあるこの世界が私たちの唯一のリアリティなのである、とかいう考えにおとなしく従うべきでもない。このレベルにおいて、1960年代という流れを超えて獲得される洞察は矮小化されるべきでもない。幻視的なドローイングに組み込まれたモダニズムの認知された真理を注意深く脱構築することで、それらは私たちに新しい世界を開いてくれるのである。と同時に、今は新たな時代や変化するその文脈に照らして自身の立場を再考する時なのだ。


建築におけるこの時代は拡散的で、その境界はいくぶんかぼやけており、にもかかわらず1956年にはじまり1972年に終わるいくつかの重要な発展によって規定されている。この時期は建築的言説における重要なモメントによって縁取られた「拡張された1960年代」として存在している。1956年には「CIAM」の崩壊があり、ポップアートが『これが明日だ』展で建築に紹介され、その一年後には、シチュアシオニスト・インターナショナルの設立に向けた前段階的な動きがあった。1972年には、シチュアシオニスト・インターナショナルの崩壊があり、プルーイット・アイゴーの住宅団地が発破解体され、モダニズムの失敗が実証され、チャールズ・ジェンクスによればポストモダニズムなる新たな時代が歓待された。彼が「ポストモダニズム」という言葉を選んだことはモダニズム批判を暗に意味していたわけだが、それが1970年代の中盤には本格的な建築スタイルへと成長していく。第二次世界大戦後すぐさまハイ・モダニズムの様々な批評が現れはじめたにも関わらず、1960年代には文化的(で多様)な批評というより大きな全体と一体化することで、それらはモダニズムの傾向全体の単なる批評やマイナーな変容以上のものを生み出すようになった。


3につづく