Publishing Practices by Michael Kubo その1

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この文章は、マイケル・クーボ氏が企画したリサーチ(&展覧会?)「出版の実践」の紹介文である。20世紀に行われた建築について考えるとき、建築家による書籍出版プロジェクトは欠かせない。そこで「影響が大きかった10冊の建築書それぞれの起源と相互比較、そして「その後に生み出されたもの」を示」すことで、書籍の持つ影響関係をあぶり出そうとする。ときに、同雑誌volume第1号の序文では「書くことが建築だ」との旨の発言をなしていた。今回はむしろ、「書くこと(出版)」と「建てること」との間の「にしてもある相違」に焦点を絞っているところに特徴がある。


注意しないといけないのは、この二つに「相違」はあるが、それは一方が他方に従属している/いない、ということではないことだ。つまり、「書くこと」は「建てること」の「ガイド」(ちなみに、この文が収録されているVolume22号のテーマは「ガイド」である)ではない、ということ。今回取り上げた3分の1部では、この「書くこと」と「建てること」との関係性を、「マニフェスト、モノグラフ、そして歴史」という「書くこと」の三区分から見て行きます、とされている。

前世紀を通して行われてきた建築の実践を考えたとき、建築家による出版は外せない。建築が自身において、自身の言説を生み出すように、書籍の言説もしばしば建築家によって、(自らの)プロジェクトが生み出され受容されそして理解される関係空間を枠づけるために使用されてきた。先の世紀に最も目立った建築家は、多産の出版者でもあったわけだ。著者、雑誌やジャーナルの編集者、はたまた出版社を煽る者や他の流通チャンネルにいる者、いろいろとあるが、その出版形式にはモノグラフ、マニフェスト、歴史、パンフレット、台本、そしてカタログなどが含まれる。こうした建築家の中にはデザインプロセスそれ自身を、編集やキュレーションのひとつとしてとらえる者もいる。いくつかの事例は、建築的領域の枠内で行われた後期の実践を伝える他の編集的実践、例えば、ジャーナリズム、スクリプトライティング、そしてフィルムメイキングにおける過去の背景によって支えられている。その分野的アジェンダは、実践に直接的なインパクトを与えるだろう学問形態を生み出すと目される―関係分野で歴史家として訓練されてきた―有能な批評家によっても影響を与えられてきた。


建築家も批評家も同じように、書籍をその分野が抱える在庫の中の戦略的ツールとして見ており、建築生産の伝統的なあり方が強いる制約から自由な効果を生み出し得るものとしてとらえてきた。出版と建てることとの特定のコンビネーションは、建築的実践の批判的二重形態として、相補関係にあるとされる働きのらせん状態として生かされてきた。しかし実際のところ、刺激的(かつ、ある事例では周到)なズレが明らかになっている。単に書籍を実践のための「ガイド」―指導や分析、あるいはコメントする書籍もあるわけで、いまだ究極的には建物の生産へと向かう、とか―として見るのではない。最も優れた建築家や批評家は、出版と建てることとの戦略的相違をよく理解しており、パラレルではあるが異なった、操作の推論的なあり方として利用する。こうした歴史において、出版は実践のオルタナティヴな形として、もっと一般的に「建築的だ」と理解されるような他の生産形態よりも機敏なものとして現れるのだ。


「出版の実践」プロジェクトは、有効な手段としての建築に関する出版の歴史や影響を、建築家や批評家によって過去の世紀に生み出された書籍の調査を通じてたどっている。ケーススタディでは、影響が大きかった10冊の建築書それぞれの起源と相互比較、そして「その後に生み出されたもの」を示している。それぞれは特定の時代の建築生産を、そしてその生産者に対する書籍の役割と働きといった固有の観念を現しているのだ。出版を通して20世紀建築のストーリーを詳しく語るのみならず、こうしたケーススタディは建築書の特権的ジャンルの改変と批評ともなる。そのジャンルとは、マニフェスト、モノグラフ、そして歴史だ。


たいてい、マニフェストはガイドという伝統的な考えに一番近いものとして見られている。定義からして議論を呼ぶものではあるが、実践へ投影される理論のアウトラインを描いているかに見えるし、特定の建築生産のあり方を正当化するか伝えるかしているように見える。20世紀建築におけるマニフェストのプロトタイプとして、ル・コルビュジエ『建築をめざして』(1923)、その形式を意識して前世紀にわたり行われてきた転回や改正のシリーズにはじまり、「穏やかな」マニフェストから―ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』(1966)―「回顧的な」マニフェストレム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(1978)に到るまで系統立っている。ここで提示される関連ジャンルは「マニフェストとしての都市」とでも呼びうるようなものだ。この形は1970年代に生まれ、学術的な歴史と理論的論考といった伝統的形態との中間にある。それは、現在の建築的、都市的な実践を再考するためのマニフェストを構築するために、特定の都市状況の描写を使用する―都市の働きを説明し、その歴史を慎重に語り直すことで、建築家に対する識別を行い彼らへの提示をなす。その基礎的な例はレイナー・バンハム『ロサンゼルス』(1971)、ロバート・ベンチューリ、デニス・スコット=ブラウン、そしてスティーヴン・アイゼナウワー『ラスヴェガス』(1972)そして―再度―『錯乱のニューヨーク』、このどれもが既存の(コルビュジエ的な)前例に対する新しい形式の初期の一部であり、あきらかにその前例の再構築でもある。


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