SPACE OURSELVES展ギャラリートーク後のメモ


ありがとうございます
15日はSPACE OURSELVES展のギャラリートーク。登壇してくださった方々、会場を貸してくださったMEDIASHOPさん、そして聞きにきてくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。今回の課題を次回(巡回展)に生かしていこうと思います。


まず前提について
ということで、話題の中から今後につながるだろう問題を抜き出してみます。この文章はそのためのメモです。ゆえに、以下は「こういう話でした」というレポートではありません。そこでまずは前提の話。この展覧会、ならびに二回のトークでは「私たちの/による/のための空間」を支援し実現する建築はどうあるのか、いわば「公共の建築」について考えています。


先週の「MAKE編」では、その一端として、「自分たちで自分たちの空間をつくる」を想定して、そのときに何を共有するのか、について話をしたので、今週の「FIND編」では、「自分たちで自分たちの空間を再認識=発見する」を想定して、その契機として建築がどうあり得るのか、という話をしたいと思っていたのだった。「公共の」を考えるとき、ひとつ「何かを共有すること」と同時に、もうひとつ、「私たち」がともに生きているということを再認識=発見することもある、と思ったため。前者は「公共的であること」について、後者は「公共のため」について、となるかもしれない。

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「FIND=発見」について

  • A】「植物を植える行為は私的なもの、一方で、植物があるという状態は誰のものか分からない(=みんなのものである)、植物を植えるという行為につきまとう公共性を利用しよう」
  • B】「仮設住宅の「間」の空間はみんなのものであり誰のものか分からない、だから誰も手を出さない、ゆえにそこに建築家として積極的にデザインしていこう」

という、ある提案の裏にあるコンセプトには、「私たち」がともに生きていることに関わる空間的な「発見」が語られている。みんなのもの=誰のものか分からない、という所有に関わる発見から、A】は誰にでもなせる行為へ、B】は建築家がとるべき責任へとつながっているように思う。一方、「誰のものか分からない」ということを、所有の問題を超えて、「すでにそこにあるもの」と解釈したとき、C】のような発見が見えてくる。


FINDからMAKEへ

  • C】「すでにあるコンクリートの建物はよそよそしい、でもドロドロの状態からコンクリートをみんなでつくっていくことには思ってる以上に面白みがあるかもしれない」

ここにきて「発見FIND」の問題が「みんなでつくることMAKE」の問題へとつながってくるように感じる。そうやって「みんな」が「意外な面白さ」を共有することで生まれる「公共」もあるだろう。8日のギャラリートーク「MAKE編」では、この「つくることを通して何を共有するか」がひとつポイントになっていた。


以上ピックアップした3つを強引に整理すると、

  • A】は誰にでもなせる空間的な行為に関わることがら
  • B】は建築家の責任に関わることがら
  • C】は私たちを取り巻く建築を問いなおすことがら

ここで少し話してきた「発見」に対して「建築」に何がなせるのか、という問題をたてたときに、上のような強引な分類から、その「建築なるもの」にはいろいろとバリエーションがありそうだ、ということが見えてくる。

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「自分たち」がともに生きることに関する空間的な「発見」を「建築」を通してどう伝え/実現していくか

建築を通して何かを共有する、のみならず、「自分たち」がともに生きることに関する空間的な「発見」を、「建築」を通してどう伝え/実現していくのか。というときに、まず「公共」という言葉にあまりこだわりすぎないほうがよいかもしれないと感じた。その「発見」とは、具体的に「自分たちが生きている=他者とともにあること」が持ちうる問題と可能性、と言い換えることができる。それは「公共」と言うよりもより想像力を膨らませることができるし、話にも広がりが出たと思う。


それから、「建築」という語をどうとらえるかも問うてみるべきだった。というのも、先に少し触れたとおり、

  • 建築物をつくるという行為
  • 建築家が取るべき責任
  • 建築家のみに限られない空間的な行為
  • 建築物があるという状態をどう認識するか

などなどという様々なアクションがレイヤーとして「建築」という言葉に隠れていそうな気がするからだ。どのような建築をつくるのか、だけでなく、どのように建築をつくるか、ひいてはどのような空間的実践をコーディネートするのか、あるいはどのように私たちを取り巻く空間を認識していくのか。こうしたところを整理した上で、建築/建築家の役割を考える方が有意義な議論ができるだろうなと思った。

ニュースより


仮設住宅は公有地じゃないといけない。そしてその設置に約300万/撤去に約100万かかる。なお、仮設住宅建設には「災害救助法」で国から費用の9割が補助されるが、自然災害が対象であり、原発事故で居住可能な住宅が残っているケースは適用外。すなわち建設や借り上げなど費用のほとんどを県が負担しなければならない。農林水産省は3月23日付で非常災害時の仮設住宅設置に農地転用許可はいらないことを周知する文書を都道府県知事あてに出したが、撤去後の責任を負うのは県。ところで、既存住宅が倒れた後の材でも財産価値があるので他人が勝手に捨てられない(なので青森では市町村判断で一般廃棄物として処分できるという政府見解を出した)。名勝地などは文化財保護法によって、もともとの土地以外での新築が規制され、仮設住宅建設が困難になっていたりもする。もちろん、仮設住宅を建てるだけじゃなく、公営住宅や民間宿泊施設へ移住してもらう策もある。そのときコミュニティ単位で移動してもらいましょう、という意見もある。


なお、市町村が安全を確保しながら復興計画を進めるための「建築制限」は建築基準法84条※に基づいており、仮設建築物や県が許可した建物以外全ての建築行為を禁止することがきる。期間は災害発生から2カ月で、国はこれを最長8カ月まで延長。自治体はこの期間中に新たな都市計画で土地利用のあり方をまとめる。例えば、宮城県石巻気仙沼など6市町の市街地を指定。


※第84条  特定行政庁は、市街地に災害のあった場合において都市計画又は土地区画整理法による土地区画整理事業のため必要があると認めるときは、区域を指定し、災害が発生した日から1月以内の期間を限り、その区域内における建築物の建築を制限し、又は禁止することができる。/2  特定行政庁は、更に1月を超えない範囲内において前項の期間を延長することができる。


◯取り組み


仮設住宅建設

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On the Moon by Arjen Oostermanその3


Volume#25 Getting there, Being here
その2から


エージェン・オースターマンによる序文。このテキストで言われていることは、ここで問いたいことは「月における建築とはどのようなものか?」ということだけじゃないんだ、ということだろう。つまり、社会的状況の変遷や技術的進歩によって月がすでに他の惑星とともに選択肢のひとつとなった現状、「ここ」というリアリティとともにある「ここじゃないどこか」というそれをどう考えるか、ということなのだ。人がなすことであるわけだから、「そこへいく」ということや「そこにいる」ということにも文化は入り込む。じゃあそのとき建築に何が提供できるんだろう? ここで問おうとしていることは、こういうことだと思うのだ。もちろん私たちがなせることに制限はかかってくるだろう。だから私たちにとって勝手知らぬ状況の中で、私たちに何ができるのかを問うことには意味がある。


これは未開の地をどうするか、ということじゃないだろう。むしろ「未開」というか「勝手知らぬ状況」がある、というリアリティを現在のそれと相対化しながら、どのように生きていくのか、ということがここで考えられるべきことだと思う。

宇宙/空間のためにデザインすること、これは基本的に問題を解決することである。とても難しいことだ。ロケット、オービター(軌道船)、宇宙ステーション、そして着陸船、これらは与えられた解の帰結であり、それが示すものである。デザインされたものというよりも、発展させられたものだ。驚くべきことなのだが、ソビエト時代、宇宙デザインプロパーの小グループが、心理学、すなわち感覚や「心地よい環境」というようなソフト的な考えに取り組んでいた。現在の長期滞在型ミッションのための準備調査において、こうした側面は再度浮上している。懐疑的な人なら、これは真に性能不安からくるものだと考えるかもしれない。つまり、人々は、心理学だとか感覚だとか心地よさだとかを考慮に入れれば、よりよいものを生み出し、より信頼でき、より効果的に動く、と。もっと楽観的な読みになると、たとえ宇宙旅行にあっても、人がすることであることには変わりない、というようなことになるだろうか。そこに例えば、文化が忍び込むのだということを知るのは魅力的なことであって、それはそうやすやすとは排除し得ないものなのだ。


じゃあ、建築は何を提供したらいいんだろう? どんな知識を? どのような情報をそのミッションに付け加えることができるだろう? そしてこれは地球上の建築の役割について何を伝えてくれるんだろうか? もう一歩踏み込んでみよう。これは私たち自身について、私たちに何を教えてくれるんだろうか?


歴史はドラマチックな転回に溢れている。でもこれはそのひとつでしかない。地球について学ぶことはひとつの手であって、他の惑星(か月)に行くこともまたひとつの手だ。それは私たちが何者であるのか、私たちはどこに属するのかという考え方を変えてくれる。私たちが何をなし得て、何をなし得ないかを決めるパラメーターを変える。そしてそれは人類の終わりなき好奇心を、境界や規制や制限の裏にあるものを見ようとする私たちの努力を示してくれる。その奮闘はアリシア・フラミス(Alicia Framis)の月生活調査を駆り立てるものでもあった。フラミスによってつくられた、月での日常生活のための最初のプロダクトカタログがこの号に付いている。それはデザインの想像的なキャパシティを遊び半分にテストする。私たちは本当に他の暮らしを想像しうるのか? アリシア・フラミスは冗談めかした方法で、デザインのキャパシティを彼女の月生活プロジェクトでもってテストするのだ。

On the Moon by Arjen Oostermanその2


Volume#25 Getting there, Being here
その1より



NASAの創設から50年が経ち、私たちのゴールはもはや到達すべき目的地のことだけではなくなった。私たちのゴールは、地球を超え、より長い時間、究極的にはよりサステイナブルかつ制限のない方法で、働き、学び、活動し、安全に住むことである。」(バラク・オバマ大統領 2010年4月15日)


50年前、建築にはミッションがあった。あまねく人に適切な住居を与えること、そして人々が働き、学び、活動し、安全に暮らせる、充分に機能的で健康な都市を生み出すこと。建築家も50年前には信念を持っていた。そのゴールは使用可能な技術を最大限利用することで到達されるべきだった。建築は技術であり、新旧の問題やなすべきことがらに対する技術的に進歩した解決策に関するものである、と信じているモダニストはいる。たとえ技術的未来をさほど信用しておらず、持続性や伝統や永遠の価値といったものにより傾倒する者でさえ、産業化された社会というリアリティは受け入れる。信じるものはさらに先を行く。彼らは遠/近未来に実行可能なものは何かを思い描いていくわけだ。それをユートピアと呼ぶか夢と呼ぶかというのはあるにせよ、それが実現するようひたすらに頑張った。その間に彼らが受け入れた最新技術が、例えば宇宙産業用のものだった。


こういう議論もあるかも。「敵わないんなら、まざれ」という大義のもとに、建築家は産業社会を吸収した。彼らはそこで生き抜き、適当なポジションを主張するための技術を得た。そうすることで、彼らは自らが美学的形態に力を表象する以上のことをなし得るはずだった。社会を形作る、ということだ。20世紀の建築はこの(部分的には自らに課した)役割と向き合う自らの能力が、右肩上がりで増えている様を見せた。効果的に社会を形作るのに何が必要かを把握する、という能力。この考えは、かつて、例えば30年から50年前そうであったほどの人気はない。建築や都市デザインは過程をガイドし、障害を取り除き、ツールを提供するという方向性に動いていった。ガイドすること、というのはとても重要なことであり、壮大で力強いデザインアプローチである。私たちはすでにひとつの特集をそのために組んでいる(訳註:Volume#22)。というわけでそれはそれでいいわけだけれども、この適切でありかつ技術を要するつつましさではどうにもならない課題もある。異なった状況に実践する建築は、それ自体の限度や強度についてでよく知っているべきだ。極度の役割でもってそれに向き合うことは、これらをテストし、理解するための方法である。そして月は得られるもののなかでも極限のものである。


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On the Moon by Arjen Oostermanその1


Volume#25 Getting there, Being here

オン・ザ・ムーン
エージェン・オースターマン


いまだかつて人が月に足を踏み入れたことはない。と、いまだに信じている者もいるにはいる。そういう人はショックを受けて(きっとまた受けることになる)いることだろう。この世紀が終わるまでに、新たな月面着陸のミッションでは、月をより精密に探究するよう基地を打ち立てての長期滞在が予定されている。月への定住はもはや絵空事なんかではなく、世界中の科学者の間でその調査や発展にとって焦点化さるべき次なるステップだととらえられている。「そこにたどり着くこと」はいまだ課題―使えはするが月に戻すことができない宇宙旅行用装備もあるし―であるが、「そこに滞在すること」は、より大きな問題となっている。探究や開拓の目的地として、あるいは主にハブとして、月は「次の駅」なのだ。


月に関する特集を組んでみないか、と同僚に話したとき、彼はこう返した。「もう地球に問題は残ってないってこと?」彼はこう聞こうとしたのかも。「月ってもう時代遅れじゃない? いまはどっちかっていうと火星じゃないか?」と。じゃあ後者の方から考えてみよう。この特集をどうするかという数週間の決定期間のうちに、新聞は、モスクワで行われた520日にわたる火星ミッション試験について、新しい「NASA Mars-rover」(2011年に打ち上げられる)の試験について、そして今年の終わりに国際宇宙ステーションへ送られる予定のヒューマノイドロボット「Robonaut2」について、伝えていた。それは、地球外への定住やディープな宇宙旅行に関わるR&D(研究開発)が現在行われている、という、氷山のより報道価値のある一角でしかなかった。そう、宇宙旅行のゴールはシフトしたのだ。でも、私たちがそのゴールに到達しようとすれば、どのみち月へ行くことになるだろう。ここで前者の方に戻って考えてみると、その答えは「ノー」となる。私たちは地球上の問題に事欠いたわけでも、それにうんざりしたわけでもない。建築を試験することは潜在力(と弱点)を発見するよい方法だ。だから建築という、私たちの定義における人類活動の中のこの領域を含み込むことは、興味深く、そればかりか重要なことであるとさえ考えている。もう一度含み込むべきだ、というべきか。


現在の宇宙旅行や長期滞在調査に着目してみると、どれほど建築、計画、そして都市デザインがうっすらとしかそこに関与していないのかに愕然とさせられるだろう。ただ、逆もまた然り、かも。建築は宇宙旅行技術や地球外居住の可能性からさほどインスピレーションを受けていない、と。ここで、地球という重力領域を超えて人間の影響を拡張して行こうという野心が以下のようにはっきりと語られていることに注目してみよう。


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タウンアーキテクトについてのインタビュー


週末、「タウンとアーキテクト」にまつわるインタビュープログラム「QueryCruise3」のために布野修司さんにインタビューする予定。「タウンアーキテクト」についておうかがいする。そのためのメモもかねて。


裸の建築家―タウンアーキテクト論序説 (建築ライブラリー)

裸の建築家―タウンアーキテクト論序説 (建築ライブラリー)


2008年アーキフォーラム「カンポンの世界」のときにも「タウンアーキテクト」のお話をされていた布野さんではあるが、氏が2000年に上梓された『裸の建築家―タウンアーキテクト論序説』では、日本における建築家の制度的な脆弱さを指摘し、日本の都市計画やまちづくりに対する建築家の関わり方を通時的かつ共時的に概説しながら、これから先建築家がとるべきひとつの理念的モデルとして、地域への根ざす「タウンアーキテクト」のあり方を提示されていた。この本では、「序説」の名が示す通り、いわば「これから先の建築家はどうありうる/あるべきか?」という話がされている。


ちなみに、最近では2011年建築座視4月号にも以下のタイトルで布野さんは論考を寄せている。


ここで言われている「アーキテクト・ビルダー」と「タウンアーキテクト」は、1980年代に布野さんらが立ち上げた「HPU(ハウジング計画ユニオン)」でさかんに議論されていた新たな建築家の職能にかかわるモデルである。HPUという団体の背景には、近代的な建築生産システムによって見失われた建築の全体性にどうアプローチするのか、という問題意識がある。この論考はその問題意識の延長上に行われた大野のセキスイハイムM1や、石山のコルゲート住宅やダムダン、渡辺の標準住宅001といった建築の試みや、その他地域づくりの実践を概説するものとなっている。なお、個人的に焦点化したい「タウンアーキテクト」については冒頭に挙げた書籍への参照があるが、それほど紙幅を費やされているわけではない。


当該書籍出版から10年以上の年月が経て、具体的な集団の設立や他主体による様々な活動を通して、そのモデルの可能性や問題点も浮かび上がってきているのではないだろうか。建築学会内には「サステイナブル・エリア・デザインとコミュニティ・アーキテクト特別研究委員会」のような委員会が存在するが、制度的にその職能を位置づけようとする試みだけではなく、例えば「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」 「京町家作事組」「神楽岡工作公司」といったネットワークも京都には(滋賀だと「近江環人」など)存在しているわけだし、もう少し日常的に行われている小さな動きにまで目を配ることで見えてくるものもあるのでは。ということで、今回はまず「タウンアーキテクト」をどのような存在として想定されていた/るのかを語っていただき、その後、そのテーマのもとに「行ったこと」について、そして行われたことをどう見ているかあたりをうかがいたいと考えている。

PEACE FIGHT by Arjen Oosterman後半


前半より


後半。このテキストは、必ずしも紛争やその後に焦点を置いているだけじゃなくて、社会的混乱があり/そこからゆっくりと復興をとげ/再建を始めようという段階的な状況の中で、建築家にどのようなことがなせるのか、ということを述べているようにも読めるような気がする。下のダイアグラムの横軸を三つに切る区分はこの段階的変化のことを示しているし、このシンプルだけどうなづける図自体が考えるためのきっかけを作ってくれる。


答えはいくぶん控えめ。社会の質は排他ではなく包摂の能力によって測られるんじゃない?「面倒を見ること」が人間のなすべきことでは?。こうした仮定に立てば、建築がどんな貢献をなせるのか知るのによいスタートを切ることができるだろう、と言う。建築がさらなるいさかいのタネになることなく、いかに手助けになるのかを考えよう、ということだ。そんなの当然だ、と思う人もいるかもしれない。でも、ラストに来る「地獄への道は善意で敷き詰められている」というヨーロッパの昔からあることわざはシビアに響く。


本文

もしそれが現在のリアリティならば、建築家はいかにして紛争後の地域で何かすることを考え始めることができるんだろう? どうやって見知らぬ文化やしばしば強く政治的な状況に対処すればよいのか? こうした問いは、建築家が自国やその文化のあらゆる種の問題について責め苛まれて以来、より切迫したものになっている。都市社会的混乱? 建築家のせいだ。隔離? それも建築家のせい。人口的デメリット? 建築家が悪いんだから奴らがつくったものはぶっ壊せ。社会的な緊張に対して、建築家を責めることは簡単だ。建築家はこれを気にしていて、真面目にとらえている、ということはよい知らせと言えるかも。でも、建築がネガティヴなインパクトを持ちうるとするならば、逆のオプションもまた然りじゃないの?


これは間違った議論だと言われるかもしれない。建築家は自分たちで馬鹿げた野心を持つべきじゃない、と。しかし、紛争状況やその後に行われる義理立ての訪問duty callこそ、しばらく私たちが付き合っていくリアリティであるとき、人は何をするというんだろう? この解くべきことがらにまつわる「対立マップ」を見ていれば、その数はこの世紀の終わりには劇的に増えていくだろう。そしていまだ変化の兆しなし。ぶっきらぼうに言いなおすと、なすべきことの多い成長市場だということなのだ。でもどうやってやろうか? もし私たちが少しの間次ページのダイアグラム(訳註:下のダイアグラム)が示すいくつかの食い違いを忘れるとするなら、いくらか常識的なアドバイスがでてくる。「すべきでない」ことがらがたくさんあるぞ、ということだとか。それは解くべきことがらや明快な経験則などを通して見つけられるだろう。勇気がいることだし、保証はないし、この先にはよりがっかりさせられることもある。でも私たちが真剣にこのグローバルなコミュニティをとらえ、社会の質が排他ではなく包摂の能力によって測られ、そして「面倒を見ること」が人間のなすべきこととされるならば、私たちは建築がどのような貢献をなせるのか知るのによいスタートを切ることができる。とりわけいかにして建築がよりいっそうの対立、新たな対立を導入することなく誰かや何かの手助けにとなるのか、ということを。


縦軸が「サポートレベル」、横軸が「時間」。横軸は三分割されていて、左から「緊急援助」「復興」「再建」期となっている。復興期に盛り上がり再建期に減っていくラインは「メディアや支援」で、緊急援助期の高い位置から復興期に下がり再建期に盛り上がるのは「キャパシティ」で、右肩上がりにじわじわ上がるのが「支援の必要性」となる。


この問題は、今年の初頭に行った私たちのカンファレンスによっている。二日間のシンポジウム「どのように平和を実現するか how do we materialize peace」(NAI, Rotterdam May 2010)はポストコンフリクトの再建という領域における建築の潜在力を探究するためのキックオフとなった。第二のカンファレンスは2011年の終わりに予定されている。気づき、よき実践、そして知への挑戦すべて、ルールを導くものとしての実用主義的プロジェクトの一部であって、これは重要なことでもある。なぜなら地獄への道は善意で敷き詰められているからだ。